謹直なユーモア

 

東京の出版社に勤めていたとき、
『奥邃廣録』の復刻につづき企画編集したのが
かつて警醒社からでていた山川丙三郎訳『ダンテ神曲』の複製版。
『奥邃廣録』が案外売れたので
割とすんなり社長がOKしてくれたのだった。
そのパンフレットにのせるため作家の大江健三郎さんに推薦文を依頼したところ、
快諾してくださり、
ありがたい文章をいただいた。
そのなかにつぎのような文言があった。
「文体のおだやかな威厳。
生真面目でいて、
この訳者には謹直なユーモアとでもいうものがあったはず
と感じさせる言葉の選び方。」
謹直なユーモア。
つつしみぶかく正直であってなおかつユーモアがある…。
大江さんは山川に会ったことはないはず。
山川の日本語からそう感じたのだろう。
さて、
ただいま『新井奥邃選集』(仮題)編集のため、
コール ダニエルさんがえらび入力してくださった奥邃の文章を
すこしずつ読み進めている。
仕事でありながら、
文の気とでもいったものに触れることができ、
こちらの気も晴れていくようだ。
吉川幸次郎の言い方になぞらえていえば、
わたしは奥邃を読むためにこの世に生まれてきたと思いたいぐらいだ。
きのう読んでいた文章にこんなのがあった。
「悔悟は何の益ありや、悔悟の益は其善実を結ぶ所に在り。
若し其善実を結ばずんば百度悔ゆるも何の益なし。
盗賊は休業すと雖も盗賊なり。
若し悔いて復盗まざるも、
盗賊の性根にして其中に存せば、休業の盗賊のみ。良民に非ざるなり。」
ここにさしかかったとき、
つい声をだして笑った。
笑ったことでその分、また気が晴れた。
そして、
大江健三郎さんが山川の文体を評していった言葉を思い出した。
謹直なユーモア。
一流の作家というのは、
書くだけでなく
読み巧者でもあって、
文章からそれを書いた人間を洞察するのだろう。

 

・学業と部活合間の初バイト  野衾