ひきつづき『無意識の発見』(アンリ・エレンベルガー著)
について。
先行研究を踏まえながら積み上げていく学術書に
注はつきもの。
ではありますが、
本文を面白く読んでいるときはとくに、
ページをめくって
章末や巻末にある小さい文字を読むのは、
面倒くさい。
しかし、
ほんのときたま、
ん!? と目をみはるようなことが書かれてあり、
驚くこともある。
前置きがながくなりました。
『無意識の発見』下巻170ページ。
注番号(276)
「ご海容を乞う! これまでの著者の論文には
ジョウンズ版のアンナ・O物語を記してきた。「すべてを再吟味せよ」という原則を
適用しなかった科(とが)である。」
読者に向かって自身の犯した罪を明らかにし、
ゆるしを乞うているではないか。
ジョウンズ版というのは、
アーネスト ジョーンズの『フロイトの生涯』
権威あるフロイト伝である。
その本に依拠して記述した(その態度が、とわたしは読みました)
ことが誤りであったというのだ。
注番号(276)に対応する本文は、
こうなっている。
「ジョウンズ版の物語は事のあってから七十年以上も後で出版され、
伝聞にもとづいているので、用心して扱うべきである。」
アンナ・Oとは、
フロイトの精神分析の創始に関係したヒステリー患者で、
その症例と治療が話題になったひとである。
この注ひとつとっても、
エレンベルガーの
学者としてのプライドがうかがわれ、
中井久夫をはじめ、
斯界の碩学がリスペクトするというのもうなずける。
・ひらがなのいのち尽きたり穴まどひ 野衾
意識の下にあって
意識よりも広く深い領域を指す心理学用語として
いまでは日常会話の中でも
ふつうにつかわれている「無意識」
ですが、
ふるくからあった概念かと思いきや、
そうではなく、
割と最近、
催眠術・磁気術などを通して、
十八世紀ごろに起きてきた考えであることを
初めて知りました。
アンリ・エレンベルガー著『無意識の発見』(弘文堂、1980)
エピソードをふんだんに取り入れ
緻密に論じて飽きることがない。
上下二巻で1100ページを超える大著ながら、
木村敏、中井久夫をはじめ、
日本における精神医学の精鋭たちの共訳。
訳もすばらしい。
大げさでなく下手な小説より面白い!
フランスの心理学者・精神医学者のピエール・ジャネが
コレージュ・ド・フランスに就職する際、
ジャネの畏友でもある
哲学者ベルグソンの推薦があった
などというのも、
時代の空気がうかがえて楽しい。
お勧めです!
・いぼむしり行きつ戻りつ進みけり 野衾
わたしが住んでいる山には野良の猫がけっこうおりまして、
エサは上げずに声だけかける。
「おはよう」
「……」
「元気か?」
「……」
「寒くなったな」
「……」
「こたつでまるくなるタイプのおまえにはきつかろう」
「……」
「え、野良だから。そうか。なるほど」
「……」
「エサはあるのか」
「……」
「じゃあな。風邪ひくなよ」
「……」
猫のことばを知らないわたしは、
一方的に
ニンゲンのことばで話すしかなく、
その間、
猫はだまって
こちらを見ているだけ
ですが、
目をそらさぬところをみると、
まあ、話の主旨というか
傾向はおおむね分かっているのかもしれません。
通り過ぎて振り返ると
まだ見ていたりしますから、
きっとそうなのでしょう。
・程ヶ谷を過ぎて秋踏む足裏(あうら)かな 野衾
依頼された原稿を
粗いものではありますが、
土、日、月の三日間をつかい四千字ほど書き上げました。
だいたい目標の数字です。
へろへろになり、
とくにきのうは一日
アタマがロックしていた。
ひとそれぞれ
書き方はいろいろだと思いますが、
わたしの場合、
与えられた、または自分で設定したテーマについて、
まずは飯を食う間も惜しむ(食いますが)
ように
一気呵成に書き上げます。
てにをはがおかしかったり、
繰り返しがあったり、
ときどき
なにを言わんとしているか
じぶんでも分からなくなったりしますが、
そんなこと
とりあえずおかまいなしに、
どんどん書いていく。
書いて書いて書きまくる。
その勢い、スピードだけを尊重しつつ。
出来上がったものは
とうていひと様に読んでもらえるようなものではなく、
それでも、
こうやって書くと、
どこでじぶんが飾ろうとしているか、
どこで嘘をついているか、
つこうとしているか、
なにがオブセッションとなっているか、
などなど、
ふだんの生活でなかなか気づきにくいことが、
ちょいちょい現れてくる気がします。
心理学でいうところの自動書記みたいなものかもしれません。
その後何度も、
日を措き、場所を変えて
推敲します。
分量にもよりますが、
経験上、
勢いをもって書いたものでない場合、
推敲しているうちに
ひょろひょろ痩せた文になってしまい
読んでいて
なによりじぶんが面白くない。
なのでまずは、
何はなくとも一気呵成。
・秋澄みて厨(くりや)の音の高きかな 野衾