亨吉と奥邃 2

 

ふたたび青江舜二郎『狩野亨吉の生涯』から。
亨吉の日記の昭和十六年八月六日の項に、
「中村千代松告別式」
とある。
「参列」のことばは見えないが、
参列しなかった
とも書かれていないから、
日記の記述であることからすれば、
おそらく出かけたのではなかったかと想像される。
亨吉と千代松とは、
それぐらいの関係ではあったのだろう。
奥邃とのかかわりを記録した千代松の手記「随感録」に
たしか亨吉の名前はなかったはず。
ただ、
帰国後の奥邃に親近したひとに亨吉と同姓の
狩野謙吾がいたことはわかっていて、
「随感録」にもその名がでてくる。
たまたま同姓なのか、
なにか縁戚関係でもあったのか、
いまのところわたしには分からない。
亨吉が亡くなったのは昭和十七年十二月二十二日。

 

・歩み来て秋のみのりの寿司を食ぶ  野衾