読書禅

 

ジャンルかかわらず、
本を読んでいてこのごろとみに思うのは、
一方で
ゆっくり何度読み返しても
内容がなかなかあたまに入ってこない文章があり、
他方で、
一般的には
むずかしいといわれる本であっても、
そうですね、
たとえば十分ぐらいでしょうか、
あらあら、
これ自分が書いたんじゃないの
と錯覚するぐらい
すらすら読めてしまう、
だけでなく
理解の自動化が起きているのでは、
そう感じられる文章に出くわすことがある。
なぜそういうことが起きるか。
急にあたまがよくなることはないから、
おそらくはこころの状態、
はたまたからだの状態、
よく分かりません。
それはともかく、
ある本を読んでいて、
たとえ一度でもそういう体験をすると、
いまの自分にとってその本が
何にも代えがたいものに感じられ、
しばらくそばに置いておくことになります。

 

・つり革の二の腕眩し夏の空  野衾