中村元の『広説佛教語大辞典』によれば、
冷暖自知の説明として、
「水の冷たさやあたたかさは、
飲む者が自分で経験する以外に知る方法がないように、
さとりも自分で実践体得する以外に知る方法がないということ。
他人には教えてもらえないこと」とある。
『無門関』『正法眼蔵』にでてくる。
本を読むということも
だれかに代わってもらうことはできなくて、
自分で読みながら
感じ味わい
考えるしかない。
極端なことを言えば、
情報を得るだけなら、
めんどうで時間のかかる読書は要らないかもしれない。
しかし、
正しさもたのしさも、
また
おもしろさをみずから知るには、
めんどうな読書を
自分に課すしかありません。
アウグスティヌスの『神の国』に、
人間に罪が入る前には
男は性器を自分の意思で動かすことができた
なんてことが書かれてあり、
電車のなかで読みながら吹き出しそうになった。
冗談でなく、
クソが着くほど真面目に弁証しているからくその
もとい、
弁証しているからこその可笑しみ。
解説書などで済ませてしまう
にはもったいない
のが古典だ。
アウグスティヌスがいきなり
となりに来た。
・梅雨入より指折り数ふ烏啼く 野衾