ぼだっこ

 

わたしの生まれ故郷秋田では、
塩鮭のことを「塩引き」といったり「ぼだっこ」といったりします。
塩引きはいいとして、
「ぼだっこ」の「ぼだ」が分からない。
さっそく『秋田のことば』(無明舎出版)で調べてみた。
ありました。
ぼだ。ぼだっこ。
塩鮭のことを意味し、
「この魚肉の赤みの強い色を「牡丹」の花の色に
なぞらえたものであろうか」
と。
なるほど。
でも「~あろうか」
ですから、
ハッキリしたことは分からないということでしょう。
岩手では「ぼた」というそう。
秋田に帰ると、
朝はかならずぼだっこが出てきます。
ヨダレ出てきたゾ。

下の写真は友人が送ってくれたもの。
ディルを食べる毛虫たちがかわいいので、
本人の了解を得、
掲載させていただくことにしました。

 

・荒梅雨を土曜の午後の鮨屋かな  野衾

 

不和の因

 

ある病院の廊下に置かれたベンチでのこと。
午後のこととて
人はまばら。
わたしのとなりのベンチに、
八十歳がらみの夫婦らしき男女が腰かけていました。
男性が手にした冊子を熱心に見ながら、
「ペン持ってない?」
と早口で女性に訊いています。
早口なので、
「ペン持ってない?」の撥音が
ほとんど消えてしまい、
「ペもてない」みたいにしか聴こえません。
「ペもてない」ではなんのことやらちんぷんかんぷん。
案の定「はい?」と女性が訊き返しました。
「ペン持ってないか?」
と男性。
さっきよりすこし声が大きくなりました。
早口は変わりません。
したがって
相変わらず「ペもてない」
としか聴こえない。
「え? なに? なんですって?」
と女性はやおら男性のほうへ身を近づかせます。
「ペン持ってないのかよ? もういいよっ」
男性は話しかけるのをやめ、
目の前の冊子に目を落としています。
「なによもうっ。すぐそうやって怒るんだから。
ペン、持って、ないか? って、
最初からゆっくり大きな声で言ってくれれば分かるのよ…」
と女性が抗弁するも、
男性は下を向いたまま身じろぎしません。
我が身を振り返り、
ひとにものを言うときは、
ゆっくり大きな声で言おうと思った次第です。
ではありますが、
ぼくは半分男性に同感です。

 

・旧街道つぎの宿まで走り梅雨  野衾

 

とじぇねわらし

 

さびしいことを秋田弁で「とじぇね」、
こどものことを「わらし」、
したがって、
「とじぇねわらし」は「さびしいこども」
ということになります。
この三月に
「とじぇねわらしと学術書」という拙文が
秋田魁新報の文化欄に掲載されました。
遅ればせながら、
お読みいただければ幸いです。
こんなふうにして
学術図書の出版社をやってまいりました。
コチラです。

 

・荒梅雨や保土ヶ谷宿に留まりぬ  野衾

 

被災地の声

 

東日本大震災が起きたとき、
わたしは会社にいた。
あの日、
遠くから来ている者は会社泊、
わたしは国道一号線を歩いて保土ヶ谷の自宅へ帰った。
あれから七年がたつ。
昨年の秋ごろから、
体の不調に悩まされ、
医者にかかり、
体重が減り血圧が下がって歩くことすらままならない日を送った。
わたしの知らないところで
体とこころに
余震が襲っていたかもしれない…。
縁ある方から
石巻からの手紙」という訳詩をお預かりした。
石巻を訪ねた日のこと、
あの日の空気感までがすぐに蘇った。
第二連一行目に
「空っぽの窓枠のうつろな視線」
とある。
石巻を訪ねた日にお会いした方々の視線と重なる。
あれから七年、
ひとりひとりの日常は癒されたろうか。
いま何を視ているだろう。
こころのなかに池があって、
ひとしれずの波紋があとからあとから、
黙する声を届けてくる。

 

・荒梅雨や平成がゆく猫二匹  野衾

 

怒りについて

 

古くはセネカ、近くはティク・ナット・ハンなど、
人間の怒りについて書かれた本は多く、
それは、それだけ
怒りを抑え
平常心でいることの
いかに難しいかを証するものなのでしょう。
怒りは、
正しさといっしょになれば義憤というわけですから、
悪感情とばかりもいえないわけですが、
コンプレックスといっしょになると
戦を好むようにもなり、
やはり、
感情本位を避け、
事実本位であることが肝要のようです。
さてわたしが子どものころ、
わたしの左どなりに祖母、右どなりに祖父が眠っておりました。
寂しさはあったけれど、
とくに不安も心配もなかった。
祖母が去り祖父が去って
わたしの左どなりには寂しさが、
右どなりには怒りが居座り眠るようになった。
両どなりを起こさぬように
しているけれど、
たまに目覚めさせてしまってあたふたと。
森田正馬を読みながら、
われについて考えることが多くあり、
病院ぎらいは仕方ないとしても、
寂しさも恐怖心も
天気をながめるごとくにながめる
ようになれればどんなにいいか、
そうなれれば
と願っています。
これまた日々の修行。
怒りも、
寂しさや恐怖心と同じく
しばらくそのままかまわずにいると、
ながれてどこかへ行ってしまう。
通り雨といいますし、
嵐だってやがては過ぎていく。
きょうの天気は晴れ、暑くなりそうです。

 

・走り梅雨何の予兆の利休鼠  野衾

 

声のわるい烏

 

ここ保土ヶ谷の山の上に
声のわるい烏がおりまして、
どうわるいかというと、
痰がからまったとでもいえばいいのか、
カーカーでなく、
ガララガララガララ。
(「ラ」を小さく表記したい)
しかも、
声を発するときに、
園児が両手を後ろに回してむすび
体を律動させながら歌うのに似て、
ひどく上下に体を揺らす。
声が悪いので
スムーズに発声できないのでしょう。
なんだか
とてもがんばっている。
見ていて、
ちょっと気の毒。

 

・旅人の旅の疲れやうつぼ草  野衾

 

意味でわる

 

新井奥邃先生記念会で
奥邃の言葉そのものを読んでみよう
ということになり、
今年が三回目。
えらんだ文章をわたしが読み上げ、
その後、
むずかしいと思われる語の説明を
みじかくする運びですが、
全共闘世代だという方にいくつか質問されました。
が、
その質問に言葉でこたえることが
なんとなく
正しくないような気がしたので、
ただ、
「わかりません」
とだけ申し上げた。
「ウィスキーを水でわるように
言葉を意味でわるわけにはいかない」
ということもありますから。
田村隆一の詩「言葉のない世界」
最終連にある言葉。

 

・ベランダに野良猫来る五月雨  野衾

 

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