執着と時間

 

・はしゃぎ来て公園の秋深まれり

存在と時間てのもありました。
そうでなく。
中村元訳『ブッダのことば スッタニパータ』
を読んでいると、
もうもう、
執着するな執着するなのオンパレード。
考えてみれば、
苦しさのもとはすべて執着、
お釈迦さまはそのことを身をもって知ったのでしょう。
知っただけでなく、
それを捨て、
それから離れることを実行し
実行できた。
ニルヴァーナ。
中村元は「やすらぎ」と訳しています。
ところで。
初めは、
なんだかうるさいな、
わかったわかった、
ブッダのことばをスットバシータ
みたいに読んでいたのですが、
毎度毎度いわれると、
耳タコになり、
だんだんマヒし、
法華の太鼓よろしく
あたりまえのことに思え身に沁みてきた。
そうして
何を思ったかといえば、
泣く子と時間には勝てねーなー
ということ。
時間に勝てるものなし。
エーエンなんてものはない。
勝てるとしたら、
それは人智を超えている。
だから執着したって始まらない。
祈りも繰り返し。
繰り返しに勝るものなし。
バンバゴダーヂーアーヂマレー
バンバゴダーヂーアーヂマレー
(婆たち集まれ)
婆たちだって、
かつては、
はち切れんばかりの少女だったのだ。
子供のころ、
大きな数珠を手渡しながら
輪になって念仏を唱え練り歩く老婆たちを
ちょっとこわごわ見ていた
ことを俄かに思い出しました。
老婆たちを見ていた子供は早初老。

・この本を読んで何する秋の暮  野衾