ヘンな朔太郎 2

 

・初詣終えて軍団坂を下り

きのうにつづき、
朔太郎さんのヘンぶりを紹介します。
「老年の恋」と題してこんな文章がありました。

「女の性愛の中には、多くの場合に母性愛が含まれて居る。それは生理的な欲情以外に別の精神的なもの、人倫的なものを要素として居るのである。男もまた或る年齢に達する時、それと同じ性愛を傾向して来る。一般に年を取つた男たちは、ずつと若い女を愛し、小娘のやうな女にのみ、純真の愛を感じて居る。なぜなら性欲の衰退と逆比例して、精神的な愛への要求が、次第に強くなるからである。(ハハハハ…。そうか?――三浦)老人の性愛は、彼の小娘のやうな女の中に、父としての人倫的な愛撫を感じて居る。豊熟した年増女(ハハハハ…。「豊熟した年増女」って、ひどい言い方。でもおもしろい――三浦)は、直接の性欲を感じさせることによつて、いつも老人を不快にする。(アハハハハ…。――三浦)ただ若く初々しい女だけが、老人にとつては可愛らしく、プラトニックな恋愛を指嗾して来る。(以下略)」

目のぎょろっとした、おもしろくなさそうな
あんな顔して、
こんなことを考えていたんですね
朔太郎さん。
「指嗾」は「しそう」と読み、そそのかす、けしかけることを言います。

・冬の朝しろばんばの懐かしき  野衾

ヘンな朔太郎

 

・足裏に畳軋りて年新た

今更ではありますが、
萩原朔太郎はヘンなひと。
ストーン・フェイスなバスター・キートンばりで、
淡々と
ヘンなことを
言ったり書いたりします。
例えばこんなの。
「私の別れた妻が、私に教へてくれた教訓は一つしかない。
観念(イデア)で物を食はうとしないで、胃袋で消化せよと言ふことだつた。
妻はいつも食事の時に、もつと生(いき)々した言葉でこれを言つた。
「ぼんやりしてないで、さつさと食べてしまひなさい。」」
「妻の教訓 Ⅰ(恐ろしき蒙昧)」と題されている。
これもアフォリズムの一種か。
いや、
阿呆リズム?
早朝ここを読み、
声を出して笑ったところ、
家人怪訝そうに
「どしたの?」

・人も無し村の社の初詣  野衾

ふみゃじぎ

 

・かちかちと餅食ふ父の入れ歯かな

年末年始は秋田に帰省。
齢八十四になった父と差し向かいの晩酌は恒例ながら、
年とともに味わいが増してくるようで。
ついつい酌もすすみます。
いい気分で床に就くや、
加齢プラス酒の利尿作用にて、
深夜、
トイレに立つこととあいなります。
ふとんの温さを逃がさぬよう
着だるま状態で
いざトイレへ。
寝ぼけまなこのまま
摺り足で行って摺り足で戻るのですが、
一瞬足裏が冷やりとします。
田舎の家は広く大きく、
途中、
仏壇が設えられた和室の端に
幅三十センチほどのふみゃじぎが這わせてあり、
そこを踏んでハッと
目が覚める。
冷んやりするのはここだけ。
ふみゃじぎ以外は畳とフローリング。
フローリングには
カーペットが敷いてあるから、
裸足でも冷たくない。
併せて畳の温かさを再確認。
夏に涼しく
冬に温かいのが畳であったよ。
ふとんにもぐれば程もなく夢の中。
ふみゃじぎの発見どこへやら。
ふみゃじぎは
「踏み敷き」だろうか。

弊社は今日が仕事始め。
本年もよろしくお願い申し上げます。

・アラカンの我を映すや母の癖  野衾