絶対無をやる

 

・秋の雨階段の苔すべるらし

小野寺先生来社。
近著『随想 西田哲学から聖霊神学へ』の刊行にあわせ、
神奈川新聞の記者が取材してくださいました。
小野寺先生は、
小・中・高をはじめ、
大学、大学院の学生まで教えた経歴を
お持ちの先生ですが、
小学校時代の教え子たちが集まったとき、
小野寺先生のことが
話題に上ったそうです。
「小野寺先生、いまはなにをしておられるのかな?」
「相当むずかしいことをやってるらしいよ」
「むずかしいことって?」
「なんか絶対無とか…」
「なにそれ?」
「まあ、絶対的な無ってことでしょう」
「あ、そう…」
「難しくってよく分からない」
「先生に一度来てもらって話してもらおうか?」
「それがいいそれがいい!」
てなことになり、
教え子たちに呼ばれ、
絶対無について講演をなさったそうです。
取材の途中だったのですが、
絶対無をやっている
という言い方が
笑いのツボに嵌り、
腹を抱えてしまいました。
そうか。
絶対無って、
やるものだったのか。
転瞬、
変な方向に頭が飛躍。
子どもの頃、
切った丸太の面を台にし
パッチ(メンコ)をやったものでしたが、
自分の持っているものの中で
いちばん強いパッチが友だちのパッチに負かされ、
丸太の台から吹き飛ばされたとき、
台をにらむ目がみるみる霞んでいった。
あの台の面こそまさに絶対無で。
悲しくて悲しくて、
女々しくて女々しくて
ぼくも絶対無をやりました。

・秋霖や東海道は斜めなり  野衾