葱坊主

 

・荒梅雨や晴れて烏が鳴いてをる

定食屋にて。
後から入ってきた四人の男。
奥のテーブル席に着くや、
四人が四人とも
大盛りランチを頼んだあとは、
会話をせずに
無言でスマホを凝視している。
数分の後、
そのうちのひとりが話し始めた。
「………葱坊主のような頭をした奴でさ……」
「なんですか葱坊主って?」
「葱坊主、知らないの? ダメだなあ」
「寺とは関係ないですよねえ」
「お前も知らないの? 村松、お前は知っているだろう」
「妖怪みたいなものですか?
水木しげるの漫画にでてくるような」
「へ~。三人とも知らねーの。
葱坊主を知らないとはね。
いいか、待ってろよ。ええと、ええと、葱坊主と。
あった。ほら。これだよ。な!」
「なんだ。葱の頭じゃないですか」
「なんだじゃねーよ近藤春菜」
「ダジャレっすか?」
「ちがうよ。ほら、これが葱坊主」
「葱坊主なんていうから、こえー妖怪かと思うじゃないですか」
「葱の頭だから葱坊主だよ。
短く刈った頭を坊主頭っていうだろう。
これ、坊主頭に似てるじゃないか」
「先輩、物知りですね」
「物知りって。坊主頭ぐらい、
いや、葱坊主ぐらい覚えてとけよお前ら…」
季節はずれの秋刀魚の塩焼きを骨までしゃぶって店を出た。

・梅雨荒れて足指十本水浸し  野衾

訂正とお詫び

 

・荒梅雨や旧本陣の銘くもる

きのうの日記に、
トイレに落ちていた差し歯のことを書きましたが、
Mさんに電話し、
情報を提供いただいたことに礼を言うと、
正確には、
というか、
わたしの早とちりであったわけですが、
差し歯は、
小便器の下
に落ちていたのではなく、
小便器の横
に落ちていたのだったそうです。
訂正してお詫びいたします。
エピソードはすべて、
ディテールが大事。
そうなると、
でも…。
わたしの頭はあらぬ方向へ回転し始めます。
差し歯が落ちていたのが、
小便器の下でなく、
横。
なんでだろう?
小用を足していて、
カッラ~ン!
便器の中に落としたのなら分かる。
横というのは、
いかにも変ではないか。
差し歯の男、
小用を足しながら、
顔をぶるぶる震わせていたのだろうか。
それで、
真下でなく
横へズレて落ちたのか?
分からん!
疑問はますますふくらんで。
それはともかく。

橋本照嵩『石巻かほく』紙上写真展
の二十一回目が掲載されました。
コチラです。

・梅雨荒れて大輪に咲く水しぶき  野衾

差し歯

 

・あちこちを泳ぎこちらにこちが来る

栗田出版販売が民事再生法適用の申請を申し立てた
ことに関しての
債権者への説明会における、
きわめて人間的な内容については
きのう書いたとおりですが、
生物学的な観点から申しますと、
ちょこっと触れたとおり、
会場の冷房が効きすぎていて、
寒いの寒くないの、
極寒の地にいるかのごとくぶるぶる震えがき、
このヤロー、
債権者を早く帰したくて
それで冷房をキンキンに効かせているのだな、
なんて、
意地悪く考えたりもしましたさ。
とにかく寒かった。
そう感じていた人は少なくなかったようで、
あちこちから、
寒いね寒いね寒いね寒いね…
アニマル浜口は、
気合だ気合だ気合だ気合だを連呼しますが、
こちらは「寒いね」の輪唱。
ちかくの人の声は大きく、
とおくの人の声は小さいので、
ドップラー効果よろしく、
寒いね寒いね寒いね寒いね寒いね寒いね寒いね……
ところが。
笑ってしまったのは、
知人Mさんからのメール。
Mさんも当日の説明会に来ていたらしく、
彼は、
夏用のマフラーを首に巻いていたそうです。
さすが、
哲学科を出た人は用意周到。
生に対する日ごろの心がけがちがう。
さらに笑ってしまったのは、
Mさんが帰り際、
トイレに寄ったときのこと、
小便器の下に差し歯が落ちていて、用を足しながらひとり苦笑したと。
差し歯をしていた彼氏、
おそらく、
あまりに寒すぎて、
からだも震えたけれど、
歯もガタガタガクガクと震えだし、
それで差し歯をトイレの便器に落としたのだろう。
便器の材質までは
確認してこなかったけれど、
陶器だとすれば、
かなり大きな音がしたと想像される。
債権が回収できず、
差し歯まで脱落したとあっては、
その債権者にしてみたら、
踏んだり蹴ったりもいいところであったろう。
でも、
面白い。
おかしい。
よもやまネタを提供してくれたMさんに感謝。

・名も知らず食してごめん夏野菜  野衾

冷却

 

・七夕や雨では姫と逢へぬなり

出版業界第四位の取次である栗田出版販売が
民事再生法適用の申請を申し立てたことをふまえ、
昨日、
債権者への説明会が行われました。
九時四十五分受け付け、
十時半に開会された午前の部の会場には、
一五〇〇~二〇〇〇人ほどの人が集まっていたと思われます。
栗田の社長の挨拶からはじまった説明会でしたが、
債権者の多くを占める売掛金の凍結は、
まあ、
ふつうのこととして、
返品処理の問題に至るや議論沸騰。
延々四時間をすぎても
まだ終わる気配なく、
半そで姿のわたしは二の腕をこすりこすりし、
耳をかっぽじいて聴いておりましたが、
体の心まで冷えすぎて、
とうとう腹まで痛くなり、
最後の最後、
閉会する前に会場を飛び出しました。
あ゛あ゛寒かった!
凍え死ぬかとおもったよ。
ところで。
こまかいところをともかく、
本の委託販売制度というのは、
書店で売れなかった本が戻ってくる、
いわゆる返品の際の代金が払えず、
(委託の際にいったんは代金が出版社に入ってきますから、
資金繰りにつかってしまうのはあたりまえ)
世に出なくてもいい本を無理に作って配本してもらい
資金繰りに充てるという
自転車操業が実態であるのに、
きのうの説明会での弁護士の説明によると、
売掛金は凍結するは、
返本は過去にさかのぼって、
請求が来る!
それも栗田からでなく、
統合を計画している大阪屋から
ということであってみれば、
開いた口がふさがらない。
取次の委託販売というのは、
手数料商売で、
極論すれば、
本が売れようが売れまいが、
回転率さえ確保できれば
日常業務および売り上げの最低限は保障される、
とは理解してきたところですが、
今回のように、
取次の倒産ということになれば、
出版社を切って、
自分たちが生き残れるようにする手立てとしても
有効に機能するものだということを
まざまざと知らされました。
百姓は生かさず殺さずというけれど、
出版社もどうやら百姓のお仲間のようです。

・ドライヤー無ければ髪も濡れたまま  野衾

鴨居玲的

 

・五月雨やベランダの蟻仕事せり

保土ヶ谷駅ホームにて。
電車を降りても、
読みかけた文庫本の
段落の区切りまで読んでから栞を挟みたくて、
数分、行を追っているうちに、
だいたいだ~れもいなくなっています。
それからひとりゆっくり駅の階段に向かいます。
ふと見ると、
ホームに設置されたベンチの近く、
腰を「く」の字のごとく折り、
顎を「し」の字のごとくしゃくって、
固まっている老人がありました。
鴨居玲の「酔って候」のまんまではないか!
しばし見とれてしまいました。
そのまま彫像にしたいぐらい、
恰好があまりに決まっているではないか!
が、
彫像にあらず、
酔漢にあらず、
老人の左手には、
水筒のようなるプラスチック製と思しき器が把持され、
右手で「く」の字の角にある
自身の性器をつまみ
容器に当て、
顔を菊の花のように顰めながら
用を足しているのでした。
年をとればだれだって尿が近くなる。
保土ヶ谷住まいのわたしは
すでに程近く。
用を足したいときにトイレがないと
超焦る。
だったら、
トイレを携帯するしかないではないか。
老人の声が聞こえてきそう。
人に迷惑をかけるわけでなく、
裸を公衆の面前に曝しているわけでもないのだから、
なんら問題はないはず。
なれど、
鹿威しが鳴ったら元の木阿弥。
最後の一滴漏らすなよ。
ズボンの股を濡らすなよ。
ポットの蓋を忘れるな。
家で老妻待っている。

『おうすいポケット 新井奥邃語録抄』の刊行にあたり、
神奈川新聞文化部の柏尾安希子さんが
取材記事を書いてくださいました。
コチラです。

・五月雨の降り残しなき御殿山  野衾

狐狸的

 

・首撫でて何処へ吹くや初夏の風

『田村隆一全集 6』に収録されている未刊行の日記
「モダン亭日乗」を読んでいたら、
敬愛する詩人の佐々木幹郎さんのことがでてきてビックリ。
一九九七年八月十三日の項。
「詩人の佐々木幹郎さんは河内育ちだから、その大先輩の楠木正成親子の桜井の別れ、落合直文先生作詞の「青葉茂れる桜井の」を河内弁に翻訳してくれるように、まえからお願いしているのに、いつまでたってもぼくの願いをかなえてくれない。たとえば、「とくとく帰れ故郷(ふるさと)へ」を「わりゃあ、さっさと去(い)ね」といった具合にさ」
とある。
そんなことを本当に、田村さんは幹郎さんにお願いしていたのだろうか。
田村隆一をわたしは直接存じ上げないが、
田村さんて、
おもしろい人であることは間違いなさそうだが、
一方で相当に狐的、
あるいは狸的な曲者でもあった気がしますから、
ここは眉に唾つけて読まなければなるまい。
引用した箇所においても、
「たとえば」からのくだりを書いて、
自ら呵呵大笑している田村さんがほうふつとしてくる。
にしても、
亡くなるほぼ一年前の日記で、
体調を崩し入退院を繰り返しているというのに、
飄々とした江戸っ子気質とでもいうのか、
文章のノリはほとんどブレない。
見上げたもんだよ屋根屋のふんどしだ。
ともかく。
今度幹郎さんに会ったら、訊いてみよう。

・足指を腫らせて去れりプリン体  野衾

編集員募集

 

・手を挙げて前を向く子ら夏近し

一連のヘイト本の出版、
かつて酒鬼薔薇聖斗と名乗った殺人者の手記の出版、
今回の栗田出版販売の民事再生法適用申請などを、
出版界に四半世紀身を置き
やぶ睨みしてきたわたしにしてみれば、
極めて構造的な現象とも見え、
中央も末端も、
いよいよ泥舟化が進んだかの感が強く。
敗戦から七十年たったとはいえ、
日本の出版界は、
戦前の尻尾をズルズル引きずったまま、
ここまで来ました。
栗田出版販売もそうでしたが、
取次との契約条項を眺めてみればすぐに分かります。
世の中がすっかり変わってしまい、
今も変化の途上にあることを、
出版に携わっている者は
わたしを含め、
あまり知っていないのではないか。
文化文化とうつつをぬかしている場合ではない。
ロートルに限らず、
若者だって同じこと。
頭はよくても体が馬鹿で、
あいさつひとつろくにできない青年の多いこと。
カタカナ言葉を少々知っているだけでは通用しないのだ。
頭はよくなければいけないけれど、
ちゃんと人様にあいさつができ、
外の人と世界への、
また新しい時代への謙虚な視座を有する
身体のすぐれた、
古典をよく読むはつらつたる若者はいないものか。
ということで、
弊社では編集員を募集します。
詳しくは「採用情報」をご覧ください。

・夏休み特別感のりなぴかな  野衾