月下の一群

 

・卯の花や匂はなけれどにほひたつ

歴史に名を残す訳詩集『月下の一群』
訳したのは、堀口大學。
フランスの近代詩人六六人三四〇篇の詩が収録されています。

私の耳は貝のから
海の響をなつかしむ   (ジャン・コクトオ「耳」)

などは、
すぐに憶えられるし楽しいし。
キザっていえばキザだけど。
でも、
なんだかいいじゃない。

かと思えば、

退屈な女より
もつと哀れなのは
かなしい女です。   (マリイ・ロオランサン「鎮静剤」より)

からはじまって
「もつと哀れなのは」がいくつもつづいて行くのですが、
最後の決めぜりふ(!?)
がふるっています。

死んだ女より
もつと哀れなのは
忘られた女です。   (マリイ・ロオランサン「鎮静剤」より)

電車の中で読んでいて、
プッとふきだしてしまいました。

・南より梅雨宣言の旗が立つ  野衾

かもめの街

 

・色すべて新しくなる五月かな

ちあきなおみに「かもめの街」
という名曲がありますが、
きのうテレビを点けたら、
北原ミレイがそれを歌っていました。
彼女の「石狩挽歌」は
好きな歌の一つで、
昔カラオケでたまに歌ったりしていましたっけ。
さてその北原歌うところの「かもめの街」でありますが、
カバー曲として、
自身のアルバムに収録しているぐらいですから、
ちあきとはまた一味も二味もちがう、
北原ミレイの世界になっていました。
でも、
いかんせん、
彼女の声は硬い。
あらためて、
ちあきなおみの歌の凄みが分かりました。

橋本照嵩『石巻かほく』紙上写真展
の十四回目が掲載されました。
コチラです。

・猫来たり固まりてのち去りにけり  野衾

日常愛

 

・息吐いて雲眺めやる五月かな

田植えが終了したと父から電話。
稲の苗を育てるためのビニールハウスもすべて解体したと。
毎年のことながら、
収穫を願い予祝する気持ちが伝わってきます。
父がずっと続けている日記は、
この時期もっとも役に立つようです。
稲の苗は、
温度と湿度の管理が大変で、
天気をにらみながら、
ハウスのビニールを開けたり閉じたり。
日に何度となく繰り返す作業を見、
子を育てるのと同じだなと思わされます。
それ以上かもしれません。
今月三日に亡くなった詩人・長田弘さんが、
『全詩集』巻末の「場所と記憶」に、
パトリオティズムというと、
ふつう愛国心と訳されるけれど、
それは適切でなく、
日常愛が正しいのだ
と記していたのを思い出しました。
九十八歳で亡くなった祖父が
最後に見たかったもの、
それは稲の苗が植えられた田んぼだったことも。

・靴直し新しき歩の五月かな  野衾

コロッケ

 

・光もて皮をむきたる若葉かな

ものまねのコロッケさんがテレビにでていました。
ものまねする人は多くいますが、
わたしはコロッケさんの、
あのデフォルメしたものまねが好きなのです。
編集者のインタビューに答え
いろいろ語っていましたが、
小さい頃から
よき母に育てられて
グレもせず、
あせるな、おこるな、いばるな、くさるな、まけるな、
をモットーにやってきたのだとか。
それを教えてくれたのも
お母さんだそうで。
語頭をつなぐと「あおいくま」
なるほど。
おぼえやすい。
東京に出てきたとき、
所ジョージの前でものまねをすると、
所さん、
「うまいけど、面白くないね」
そう言ったときの所さんをものまねでやって見せ。
それが所さんにそっくりで。
その後、
地元熊本の、あるステージに立ち、
レコードの歌に合わせものまねをしたとき、
スタッフの間違いで
レコードの回転数が速くなり、
動きもその分テケテケと速まった。
笑いがドッと来て。
面白かったのかなと思ったそうです。
ひとつの開眼だったのでしょう。
番組の最後、
色紙にひとことと言われ
書いた言葉が、
「貶されて感謝 誉められて懺悔」
東日本大震災の折に
すぐ現地に駆けつけた話も印象深く。
ますますコロッケさんが好きになりました。

・遠き富士煙突にゅっと五月かな  野衾

五月

 

・木々揺れて悲喜とどまりし五月かな

いい季節です。
木々に若葉が萌えだし、
歩いていてもそれと分かりますから、
つやつや光る葉に見とれ深呼吸することしばし。
古来日本人は、
五月を味わい愛で、
ああ、いい季節だなやぁ、
あああ、
などと感慨に耽ってきたのでしょう。
この季節、
ツツジが咲き、
サツキが咲き。
サツキは漢字だと五月(皐月)。
そう表記されたことで、
旧暦の事ではありますが、
サツキは五月を代表する花になりました。
それにしても、
かわいそうなのは、
ハエ。
五月の鷹なら
寺山さんにも詠まれて、
ますますかっこよくなったけれど、
五月のハエは
五月蝿と書いて「うるさい」ですから。
いい季節だと人間が勝手に思い、
勝手に
いい気分に浸っているときに、
我れ関せずとばかりに、
ブ~~~ン
と飛んできては
一気に興を殺いでしまう蝿。
そんなところからの命名なのでしょう。
この季節、
主に秋田でのことですが、
「こんちくしょう!」と声を出し、
無駄な殺生を繰り返してまいりました。
ナンマイダナンマイダ。

・うるさいと名指され自棄の五月蝿  野衾

ヘルダーリン

 

・鷹よ来いと叫ぶも五月烏のみ

手塚富雄さんが十年かけて書いたという
『ヘルダーリン』を読んでいますが、
いよいよ彼の人生を変えた女性ズゼッテが登場し、
風雲急を告げ、
面白くなってきました。
ヘルダーリンは一七七〇年生まれ。
ヘーゲルが「詩人の詩人」と評した詩人で、
飯島耕一さんの詩にもでてきますが、
ヘーゲルはもとより、
ゲーテ、シェリング、フィヒテ、シラーなど、
名の知られた歴史上の人物との交流も
華やかで目を瞠ります。
シラー宅を訪問した際、
同じテーブルに先客のゲーテがいるのに、
ゲーテとも知らずに、
シラーに会っていることに有頂天になっているなど、
まさに青年ヘルダーリンの面目躍如。
お隣りフランスでは、
革命を経、
ナポレオンが登場してくる時代です。
にしても、
学者というのは凄いもの。
小説ならいざ知らず、
膨大な史料資料を渉猟し、
二百五十年前に生まれた人物が、
まるでその辺の道を歩いているように描出するのですから。
バルザックの小説を読むのと同じくらい面白い。
いや、それ以上か。
ところで、
手塚さんの文章に、
「孤独な木村謹治先生」というエッセイがあり、
こちらはまだ読んでいませんが、
いずれ読もうと思いますが、
木村謹治というのは秋田県五城目町出身。
わが井川町の隣町。
大学でドイツ語を勉強していたとき、
木村・相良のドイツ語辞書をつかっていたのに、
当時はそんなことはつゆ知らず。
ちなみに木村・相良の相良のほうは
相良守峯(さがら・もりお)
こちらは山形県鶴岡市出身。
秋田と山形の人が
ドイツ語辞書の名著をものしたのいうのがまた面白い。

・しょんべんを田へしたもんだ山蛙  野衾

追悼・長田弘さん

 

・黙すれど照らし照らされ躑躅かな

詩人の長田弘さんが今月三日に亡くなりました。
七十五歳。
学生の頃から長田さんの詩に親しんできましたから、
寂しいです。
一度、社にお招きし、
親しく話を聞く機会がありました。
約束の時間よりも少し早めのお着きでした。
長田さんの好物がラスクだと
聞きかじっていましたので、
事前に用意したラスクを
コーヒーといっしょに差し出すと、
わたしの机の横で長田さん、
ゆっくり袋を破り、
一枚のラスクを手に取って
しげしげと眺め、
それからおもむろに口に運びました。
にこりともせず、
ガリッ、ガリッ、ガリッ。
約束の時間となり、
お客様の前でお話くださいましたが、
そのなかで、
全国紙と地方紙の違いは何か、
という問いを発しました。
それは
「おくやみ欄」の有無であると。
人の死が人の死でなく
数の死となった二十世紀、
個別の人の死を
個別に取り上げるのが「おくやみ欄」…。
そんなことを
考えもしませんでしたから、
なるほどなあと感じ入りました。
長田さんが病院でなく
自宅で亡くなられたことを知り、
少し安心しました。
深い思想を分かりやすく表現してきた
長田さんらしい死であると感じ、
たった一人の長田さんの
死を死んだのだと思いました。
ご冥福をお祈りします。

橋本照嵩『石巻かほく』紙上写真展
の十三回目が掲載されました。
コチラです。

・一日の疲れを遠く山蛙  野衾