フォルティシモな豚飼い

 

・大寒に大観呑んだ酒を嘗む

杉田徹さんの『フォルティシモな豚飼い』を面白く読みました。
ぶっ飛んだり、よいよいよいよいと、
かっぽれを踊りたくなるような面白さではなく、
じわりと効いてくる面白さ。
杉田さんは、一九四三年、新潟県生まれ。
今は宮城県志津川で豚を飼っていますが、
写真家でもあり、ご本人が撮った
思わず見入ってしまう写真がいくつも収録されています。
この本は、
「豚飼いになった写真家」杉田さんと
ご家族の物語を記したエッセイ集ですが、
まさに語り物で、
杉田さんの語りの妙に引き込まれ、
眼で追うエピソードを疑似体験しつつ、
心地よい語り「お話」に耳を傾け
杉田さんの思考と思索
のめぐりに歩調を合わせているうちに、
生きること、考えること、また生きることを、
ついつい
考えてしまいます。
それも愉しく。
愉しくをフォルティシモかな?と。
ピアニシモでなく。
例えば「「豚」にフタをしない」は、
ダジャレみたいですが、
まさに生活の場において捉えた
豊かで深い思索と思想であると感じます。
平成の江渡狄嶺みたい。
本の後半、
豚飼いになる前の、
家族ぐるみスペインでの暮らしが語られていますが、
疑問を宝に生きて暮らす杉田さんの時間が、
家族ともどもきらきらと輝いています。
土地の人びとがまたなんとも魅力的。
土地の子どもが杉田さんの奥さんに声をかけます。
「タエ! 何でクローとライは、バカンスに勉強するの!」
クローとライは杉田さんの子どもたち。
そう。今は夏休みなのだ。
日本では、
夏休みでも子どもは勉強します。
と、
「ここは日本じゃないのよ。スペインよ!」
なるほどです。
さてこの本を読みながら、
わたしの気持ちは何度か聖書に向かいます。
「伝道の書」第三章第十一・十二節。
「神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。わたしは知っている。人にはその生きながらえている間、楽しく愉快に過ごすよりほかに良い事はない」
カメラと宝の疑問を携え旅に出た杉田さんでしたが、
疑問が解け、
答えを得て日本に帰ってきました。
カメラを手放し、
豚を飼うことに決めた杉田さんは、
緑の大地に向い「初対面の挨拶」をします。
「――私の命が果てるまでの一時の間、あなたの懐で思いの丈を尽くして「私」をやらせてください」
思いの丈、フォルティシモ!

・さびさびでや駄洒落云つてる場合でない  野衾