老い

 

・富士の嶺耳鳴り聴こゆ淑気かな

朝起きてから夜床につくまで、
いろいろな場面で
「老い」を感じることの多くなった今日この頃。
物忘れの多さは、
子供のころから人後に落ちぬ自信がありますから、
今さら何をかいわんや。
家を出るとき、
ドアをちゃんと閉めたかどうか心配になり
戻って確かめる、
なんてことはごくふつうの話で、
この頃は、
戻って確かめるところまでを
無意識にやるものですから、
さらに心配になり、
戻って確かめたことを確かめるために戻る、
なんてこともたま~にある。
いやはや。
先日、
家人が買ってくれた二つあるコーヒーカップのうちの
一つを割ってしまいました。
この日記を書き終えると、
サイフォンでコーヒーを淹れ、
朝の読書の時間となるわけですが、
そのときコーヒーカップを本棚の隅に置きます。
隅ですから、
ほんの僅かなスペースです。
落とすと割れるなと常々思って
注意してはいました。
そのすぐ横に小さな付箋と
シャープペンシルが置いてあり、
ときどき本に付箋を貼ったり書き込んだりします。
何の本を読んでいたときだったか、
最早忘れてしまいましたが、
何か書き込もうとし
シャープペンシルを持ち上げた瞬間、
先っぽが
コーヒーカップの縁に触れ、
あっ!!
床めがけてスローモーションで落ちてゆき、
グワッシャーン!!
ひとたまりもありません。
コーヒーは飲み終えていたのですが…。
家人が実家に帰っていたときでしたから、
すぐに電話し謝りました。
どの人もどの人も、
こういうことが重なって、
動作の前にその動作を意識するようになるのでしょう。
それが「老い」というものなのでしょう。
がしかし、
ここに落とし穴がある。
すべての動作の前に意識を置くことは不可能。
ゆっくり緩慢な動作をしていても、
意識せぬままのことは多い。
例えば歩くこと。
歩くとき、一歩、一歩に意識を置いていたら、
とてもじゃないが歩けない。
意識が疲れてしまいます。
だからわれ知らず、
フッと意識が飛んで、
転んだり、ぶつかったり、躓いたり…。
どこまで意識を張り巡らすことができるのか。
まさに意識と老いの駆け比べ。
さてこれから、
ゆっくりコーヒーを淹れることにします。

・ほくほくの肉じゃが食むや鯉の口  野衾