地鶏写真家パリを行く!

 

・ふるさととパリを結んでコケッコー

写真家・橋本照嵩さんが
昨年十一月十二日から十二月二十五日まで、
ついにパリで個展を開いた。
ついに、
というのは訳がある。
橋本さんとは
前の会社勤め以来二十年ちかい付き合いになるが、
これまで橋本さんが写真について語るとき、
二十世紀を代表するオランダ出身の写真家エルスケンの出世作
『セーヌ左岸の恋』が幾度か話題に上ったからだ。
橋本さんがそれほど言うなら
というので私も一冊求め、
書棚に置き
事あるごとに眺めているが、
開くたびに
撮られた人物たちの表情に見入ってしまう。
今、人物たちと言ったけれど、
街も夜も紫煙も猫も
皿もフォークも瓶もブラジャーも、
いわば役者で、
猥褻で儚く躍動する独特の表情を見せてくれる。
人生を底から楽しむ
まさにセーヌ左岸の恋なのだ。
そのパリを橋本さんが
歩く撮る歩く撮る歩く撮る…。
想像するだに愉快になってくる。
瞽女唄まで披露したというのだから、
何をかいわんや
うひょひょひょひょ。
橋本さんのパリ行の模様が「石巻かほく」紙に掲載されました。
一枚写っている橋本さんを見てください。
ちょっと照れくさそうにして、
まるっきり子供の表情ではありませんか。
写真集『北上川』に収めた「兄ちゃんと」並んで写る
デカパンの橋本さんそっくり!
泣けてきます。
コチラです。

・橋本や瞽女唄ピンコエルスケン  野衾

 

・すずしろや色に染まりて養はむ

子供のころから人の顔を視る癖があります。
じっと視過ぎて誤解され、
先輩から
殴られる寸前までいったこともありました。
出社時、
紅葉坂を上っていて、
坂を下ってきたオヤジから、
すれ違いざま
「なに視てんだよー」

すごまれたことが一度あったっけ。
さて昨日のこと、
仕事が終り
桜木町の駅に向かって歩き、
いつものコースを辿って
エスカレーターに乗りました。
下から色白の可愛い顔の女性がスーッと上ってきました。
だんだん近づいてきます。
色白の可愛い女性は、
絵で描いたように目鼻立ちがくっきりしており、
色白でとても可愛いのですが、
立体的な凸凹があまりなく、
なんとなく、
平らです。
なにかに似ている。
なにかに。
なにかに。
そうだ。
でんでん太鼓!
あ。
いままさに思い出した。
わたしの、
人の顔を視るこの癖、
死んだトモ爺がそうだった。
正月、化粧をする末娘(わたしにとっては叔母)
の顔をじっと視過ぎ、
娘からやんわり窘められていた。
そんなこともあったっけ。

・地下の道でんでん太鼓の響きをり  野衾

ダウランドのリュート曲全集4枚組

 

・駅伝の走った道や元の道

長く勤めたN君がほかへ移り、
以後、
CDの取り替えはわたしがやるようになりました。
午前はクラシック、
午後はジャズ、ロック、ポップスなど。
はっきりそうと決めているわけではありませんが、
概ねそんな感じのジャンルわけ。
毎日のことなので、
全部が一枚一枚独立したものだと
選ぶのが相当悩ましい。
それでなくても仕事で悩みが多いのに
(それほどでもないが)
余技のCD選びまで頭を使うのはもったいない。
N君はササッと
こともなげに選んでいたように見えたが、
実際はどうだったろう。
こういうとき、
ドカンと数枚、ときに数十枚のセットもの、
ボックスものはうれしい。
「アルトゥーロ・トスカニーニ・コンプリートRCAレコーディングズ」
なるものを、ただいま午前中かけてます。
これ、全部で八十五枚。
土日は休みですから85÷5=17
一か月五週として三か月半はもつ!
てことは、
その間、考えなくて済む。
が、
午後はそうもいかず、
そのときの気分気分でとっかえひっかえ。
あるときは、ビル・エヴァンス。
あるときは、マイルス・デイビス。
またあるときはビートルズ。
またあるときはザ・ローリング・ストーンズ。
あるときは、バディ・ホリー。
あるときは、サム・クック。
あるときは、ディアンジェロ。
あるときは、トム・ウェイツ。
さて。
午後四時台になると、
だいたい仕事の疲れが出てきますから、
ダウランドのリュート曲全集4枚組のなかから
一枚取り出してかけることが多い。
好きでずっと読んできた人に英文学者・翻訳家の中野好夫さん
がいますが、
中野好夫の葬儀で、
ダウランドのリュート曲を流したと、
お嬢さんの中野利子さんがたしか書いていて、
そんなこともあり、
よけい好きになったのかもしれません。
とても気持ちが落ち着きます。

・待合室開く文庫の意味汲めず  野衾

齋藤正寧町長を悼む

 

・赤沢や赤心逝きて雪降り積む

きのうは仕事始め。
社内で一杯やりほろ酔い加減で帰宅すると、
ケータイに父から電話のマーク。
留守録の声を再生し、
わたしに呼びかける第一声で
だれかが亡くなったと確信した。
ふるさと井川町の齋藤正寧(さいとう・まさやす)町長が昨日の朝、
病院でお亡くなりになった。
享年七十二。
正寧町長が中心となり編纂し
一九八六年十一月に上梓された
総ページ数一四〇〇を超える『井川町史』には、
巻頭に若き町長の顔写真と
発刊にあたっての
誇らしげな文章が収められている。
正寧町長は井川村赤沢出身。
祖父の多十郎、父の正作につづいて首長となり、
九期三十六年の任期を二か月残し天に召された。
『広報いかわ』二〇一五年一月号には
「新春 町長インタビュー」として、
昨年十二月十九日に行われた記者会見での発言が収録されている。
行政の長として冷静に町の状態を分析したあと、
最後に、
つぎの言葉をもって発言を締めくくっている。
「また、生活習慣病対策と健康づくりを推進すべき首長自らが「がん」を患ってしまったことについては、住民の皆さんに対し、深くお詫び申し上げなくてはなりません。
この度、自らの体調について熟考した結果、町長職から身を引くことを決断いたしました。二月末の任期まで残りわずかとなりますが、全力で職務を全ういたしてまいります。」
齋藤正寧町長のご冥福をお祈りいたします。

・父と子の赤心燃ゆる雪の町  野衾

さてと

 

・しんしんと白くなりゆく記憶かな

二〇一五年。
明けましておめでとうございます。
ふるさと秋田では、
本を読み、テレビを見、食事を作り、酒を飲み、
本を読み、テレビを見、食事を作り、酒を飲み、
また本を読み、テレビを見、食事を作り、酒を飲み、
一日は温泉に浸かり、
一日は親戚の家にお邪魔しご馳走になり、
まあまあゆっくりのんびりできたいい正月でした。
紅白歌合戦の大晦日は、
さすがに九時就寝とはいきませんでしたが、
それ以外はおおむね九時前には
電気毛布の床に入り、
朝の四時か五時には起き出します。
長田弘さんの詩にあるごとく、
このリズムが
いわばふるさとで、
ふるさと秋田に帰ろうが
旅先だろうが、
どこでだろうが、
ふるさとを携行しているようなものです。
中学高校の頃は、
目覚まし時計のほかに
ひとつ置いて隣りの部屋から
母が声をかけてくれたものでしたが、
今は、
目覚まし時計がなくても
四時前にはだいたい目を覚ます。
丹前を着込みストーブのそばで本を読む。
火の温みがじんわり体に沁みてくる。
やがて畳を踏む足音がする。
「おはよう」
「おはよう」
腰の曲がった母がゆっくり目の前を通り過ぎます。

・年賀状深読みしすぎ疲れけり  野衾