落下傘

 

・年の瀬やワックス掛けして滑りけり

金子光晴の詩集『落下傘』の「跋」に、
つぎのように書かれています。

「この詩集は、日本と中國の戰爭が始まつてから、終戰十日ほど前までに書かれた詩のうち、比較的前期の作をあつめたもの。すべて發表の目的をもつて書かれ、殆んど、半分近くは、困難な情勢の下に危險を冒して發表した。
發表に就ては、中央公論の畑中繁雄氏の理解によつて、殆ど共謀で發表を推行した。犬等四五篇は、雑誌社から返された。この詩の役目は一見終つてゐるようにみえて、まだまだ終つてゐないとおもふ。この詩の苦難も、又、これからの事かもしれない。この詩集並びに他の二三冊の戰爭中の詩集を出してから、今後の仕事にかかりたい。この詩集は僕の脊柱骨だ。

昭和二三年一月
著者」

戦時中、危険を冒して書かれた幾編の詩を読み、
最後の跋文を読んで投票所に向かいました。
朝起きて、
パソコンを立ち上げインターネットに繋いだら、
一国の首長のどや顔がでてきました。
例えば詩集『落下傘』は、
役目を終えたどころか、
ますます必要とされている気がします。
そして、
この詩の苦難も真に、
これからのことなのでしょう。

・あれしこれし気のみ急かるる師走かな  野衾