鹿の目

 

・散りて尚目を愉します落葉かな

『クチュクチュバーン』以来、
無思想の可笑しさや不気味さを
恐ろしいほどの筆致で書いてきた吉村萬壱の
短編集『ヤイトスエッド』を読んだ。
書名にもなっている「ヤイトスエッド」は傑作だったが、
そもそもヤイトスエッドとは?
ヤイトは灸。つまりお灸。
スエッドは据えっど。
お灸を据えるど、という関西弁。
笑福亭鶴瓶の野太い声を連想すると、たぶんいいと思う。
野太く、ヤイト~スエッド。
オビにあるとおり、
「罪深き女、偽りの愛にお灸(ヤイト)を据える(スエッド)、黒マントの怪人」
がヤイトスエッドだ。
このノリがわたしは大好きなのだが、
ここでぜひ紹介したいのは、
「ヤイトスエッド」の前に収録されている
「鹿の目」
鹿の目のような目をもつ、
何を考えているか分からない、
欲望が那辺に存するかとんと検討がつかぬ女・桃子
と「私」の物語。
桃子が何を楽しみにして生きているのか
不思議に思っていた「私」は、
彼女が自室を不在にしていたとき、
合鍵でもって彼女の部屋に侵入し、
ガランとした部屋の推し入れの中に置かれたダンボールから
封印されていた秘密を知り、
あまりのくだらなさ底の浅さに茫然自失、
「私」は俄然強気に出る。
*以下は引用です。
「明日休みだろう?」
「ええ」
「ドライブに行くぞ」
「ええ……」
有無を言わせぬ訊き方で厭と言わせず、何か言葉を継ぎかけた桃子を無視して立ち上がると、「では昼頃迎えに来る」と言い残して大股歩きで部屋を出た。休日にも一歩も外に出ず終日体育座りをしているなどという不自然さは、宇宙的な神秘と繋がりを持っていてこそ許されもしようが、覗き見た彼女の内なる神が野口五郎だと知った今となってはとても認められない所業に思えた。何という底の浅さか。それがバッハやスクリャービンであるならともかく、改札口で君のこと、いつも待ったものでしたの「私鉄沿線」男だったとは。その感じは、途轍もなく深いと思って覗き込んだ井戸が、地下一メートルの浅さでコンクリートによって塗り固められていたのを知った時の失望にも譬えられようか。
(引用終わり)
わたしはこの箇所を読み、
不覚にも、
朝の早い時間で隣り近所がまだ寝静まっているというのに、
腹を抱え、
涙まで流し大声で笑ってしまったのだ。
してやられました。
でも、
スッキリした!
軽さの毒と無意味さが気に食わなくなったら、
また世の中のいろんなことがつまらなく思い始めたら、
吉村萬壱を読むにかぎる。

・シベリア寒気団サーカス団  野衾