驚く人

 

・定食屋デザート蜜柑に顔顰む

朔太郎の詩を読んでいると、
プッと吹きだすことがしばしばで。
なんでかといえば、
どうもこの人は何事によらず物に触れ驚く人のようで、
本人は素直に驚いているのでしょうが、
そして本人は
それが苦しくもあったでしょうが、
立ち止まり脅威に曝されアワワと驚いている様子が
じつによく伝わってます。
本人が本気であればあるほど、
見ている客は読者は可笑しく感じ、
それから悲しくなります。
例えば、
有名な『月に吠える』の冒頭「地面の底の病氣の顔」
(……………)
冬至のころの、
さびしい病氣の地面から、
ほそい青竹の根が生えそめ、
生えそめ、
それがじつにあはれふかくみえ、
けぶれるごとくに視え、
じつに、じつに、あはれふかげに視え。
(……………)
という詩句がありますが、
読んでいて萩原さんの、
朔太郎のことですが、
萩原さんの驚いている姿が彷彿と浮かんできて、
じつに可笑しいわけです。
で、
だんだん居たたまれないような感じがしてきます。
苦しかったろうなぁ。
苦しくて、
自分をもてあますことも多かったのじゃないでしょうか。
朔太郎の詩には、
上で紹介した詩もそうですが、
「じつに」とか「非常に」とか「よにも」とかがよくでてきます。
推敲の段階で本人も気づいたでしょうけれど、
ドライブがかかってことばがでてくるとき、
本人驚いているものだから、
どうしても「じつに」「非常に」「よにも」
がじつによく登場することになります。
朔太郎の詩は、
いわば「じつに」の詩といえます。
偉大な喜劇俳優にしてストーンフェイスの
バスター・キートンが偉大なように、
朔太郎も偉大です。
二人はよく似ています。
実際もよく似ていたようです。
バスター・キートンの滑稽さは痛いほど。
ハイフェッツに似ているといった人もいたようですが。
それはともかく。
朔太郎の詩を読みながら、
どうしようもない萩原さんの悲しみを思わずにはいられません。
苦しかったと思います。

・人よりも車中マスクが徘徊す  野衾