相手の身になる

 

・けふよりは十六年目の秋晴るる

先日、ある方から、
教養とはなんですか? と訊かれました。
わたしが持っている大辞林第二版によれば、
①おしえそだてること。
②社会人として必要な広い文化的な知識。
また、それによって養われた品位。
③単なる知識ではなく、
人間がその素質を精神的・全人的に開化・発展させる
学び養われる学問や芸術など。
さて、質問された折、
辞書を持っていれば以上のように答えられたわけですが、
わたしのは机上版でやたら重く、
持ち歩くのにはとても不便。
ていうか重さに関係なく、
わたしはふだん辞書を持ち歩きません。
電子辞書という手もありますが、
今のところ持っておらず。
というわけで、
先の質問「教養とはなんですか?」
に対してわたしはとっさに、
「相手の立場に立てる、相手の身になれることではないでしょうか」
と答えました。
答えたとき、
脳裏には死んだ祖母のことがありました。
わたしの人づきあい、
考え方の根本は祖母でありまして、
その祖母は学校というものを知りません。
義務教育制度は布かれていたはずなのに、
貧しかったせなのか何なのか、
小学校にすら通っていません。
ところが、
祖母はけして他人の悪口を言わなかった。
葬儀のときに何人もの人が
そう話しているのを耳にしました。
わたしも実際、
祖母が人の悪口を言っているのを
聞いたことがありません。
そのことがずっと、
今も胸にあり、
学校に行かなかった祖母がそれができたのは、
相手に共感し、
相手の身になる手たでを、
学校の勉強によらずして鍛えたからではなかったか、
とも思います。
わたしは、
祖母はそもそも、
生まれが上等だったのではないかと思っています。
上等でない人間は、
相手の立場に立ち、相手の身になり、
無教養ガスアダマ馬鹿野郎ウスラトンカチ金壺マナグを廃し、
もう一つの眼を持つために、
ひたすら勉強しなければなりません。
日用常行を通じ
己を客観視し驕り高ぶらず、
少しでも先人に近づき、
他者と深くつながる道につきたいものです。

・秋日和五月蝿き烏あつち行け  野衾