おすすめ

 

・隣りからピアノぽろんと秋深し

先日、近所のりなちゃんたちと江の島へ行った折り、
入った喫茶店でかかっていた曲が
とても気持ちよく、
売店にCDが置いてありましたから、
店の人に教えてもらい、
すぐに購入しました。
山内雄喜さんの
「ナ・メレ・オ・ハワイ・エ・アラニ vol.1
古代のハワイ音楽 <スラック・キー・ギター インスト編>」
ボリュームを押さえ目にし、
このごろこればかり聴いています。
ていうか掛けています。
ハワイの音楽ですから、
ゆっくりまったりするわけですが、
尖った針が溶けていくような、
聴いていなくて
鳴っているだけで、
いつの間にか
体とこころの色が
すこーし変わっていくような、
なんともいえなく心地よい音楽です。
医者からもらった薬で痛風は治りましたが、
痛風で動けない間も掛けていて、
それも功を奏してこんなに早くぴんぴんしたのか、
いやほんとに、
そんなふうにも思っています。
ライナーノーツをみると、
ハワイの歴史や音楽、楽器、曲目の説明だけで、
ご自身のことはなにも書いていません。
本当にハワイが好きなのでしょう。
山内雄喜さんてどんな方か、
機会があれば会ってみたいと思います。

・秋の夕少年只管自転車を漕ぐ  野衾

反省

 

・うつつにて夢を撫であぐ芒かな

痛みを通して分かるということがありますが、
今回の痛風発作がまさにそれ。
左足を地面にフラットに着くことがかなわず、
右足だけでぴょんぴょん跳ねてトイレまで、
なんてこともしましたが、
ハイヒールを履いた
(ことはありませんけれど)
ような格好で、
爪先立ちで歩くとなんとか前へ進め、
家の中でも、
医者へ行くのでも、
タクシーに乗るのでも、
タクシーの中でもずっと爪先立ち。
歩けることが
どんなに恵まれてうれしいことなのか、
ほとほと保土ヶ谷身に染みました。
ほとほとの「ほと」と
保土ヶ谷の「ほど」、
はい、
すみませんダジャレです。
それぐらいすっかり快くなったということで…。
ともあれ深く反省し、
しばらくは大好きな烏賊とビールを止め、
タコと焼酎またはウィスキーにします。

・秋深しコンビニ弁当蒸かし芋  野衾

詩のレスリング!?

 

・野に出でてぎんがぎんがの芒かな

夢を見た。
若いころは怖い夢を見ることが多かったが、
このごろ見る夢は怖くない。
どちらかといえば楽しく、
眼が覚め思い出して笑えるものが少なくない。
今朝見た夢は、詩のレスリング。
世に詩のボクシングなるものはあるが、
詩のレスリングは初めて。
リングに上がるのは、
詩人の佐々木幹郎さんと歌人の佐佐木幸綱さん。
同じ「ささき」でも、
幹郎さんが佐々木なのに、
幸綱さんは佐佐木。
ただし本名は佐々木幸綱です。
繰り返しの「々」を使うか使わないかの違い。
詩人と歌人であるから、
異種格闘技戦ということなのだろうか。
幸綱さん、
国文学者で現代歌人協会理事長を務めておられるけれど、
歌人というよりもとからレスラーっぽい。
和服を身に着け強そう。
片や幹郎さん、
ISSEY MIYAKEのルースな衣装で、あまり強そうに見えない。
いつものように涼しげにニコニコしている。
なんて思って見ているうちに
ゴングが鳴り、
双方向き合い両手をがっぷりと組み合わせ、
力比べ状態から、あっ!
と思いきや、
幹郎さん、幸綱さんを猛烈にヘッドロック。
左かいなでぐいぐい幸綱さんの首を締め上げている。
待てよ。
これではただのレスリングではないか。
と。
「ててててててててってっ。とと、ところでっ、先の詩集『明日』は…」
と幸綱さん。
「んっ。あれはっ。ですねっ。とっ。東北っ。のっ。今度のっ。震災っ。でっと」
と幹郎さん。
単語がやたらと途切れ、かつ促音が入るのは、
そこでぐいぐい力を入れるためらしい。
ははあ納得!
レスリングの技を掛け合っても、
それだけで終始してはダメで、
言葉を途切らせた方のどうも負けらしい。
にしても、
二人ともほとんど赤鬼状態、
頭から湯気が立つかと見え、ていうか、立っている。
と。
仕事の途中だったことを思い出し、
わたしはそそくさと会場を抜け出し社に戻り、
仕事の続きをしていた。
ら。
左斜め横の編集長の席に幹郎さんが座っている。
真面目なお顔で落ち着いている。
赤鬼でない。
ふむ。
どうやら勝ったみたいだ。
でも、いつの間にここに来ていたのだろう。
机に向かって何か書いていらっしゃる。
原稿なのか手紙なのか。
「資料の整理はどうしているの?」と訊かれたので、
「紙だけならすぐ後ろの棚にある黒いファイルを使いますが、
紙だけと限りませんから、A4サイズの箱を使うことも少なくありません」
なんて説明し、
箱を持ってきてお見せすると、
幹郎さん、ケータイで写真なんか撮っている。
わたしが訝しそうにしていたせいか、
問わず語りに、
知人に見せてあげようと思って、
と説明してくださった。
特別な箱でもないのにと不思議な気がした。
わたしは、
詩のレスリングのことを尋ねたいのだが、
どうもそういう雰囲気でなく、
いつ切り出していいのか迷っている。

・見て戻りまた見て戻る花芒  野衾

アイタタタ~ッ!!

 

・秋風や踵に尖る歩行不可

十五日の午後から
左足くるぶしの下辺りが痛み出し、
だんだんひどくなり、
ひどくなり、
びっこを引かなければ歩けなくなりました。
野戦病院のようなる整形外科へ赴き、
待たされること一時間半、
診察室へ入り、
「よろしくお願いします」
と言うや、
「新潟ご出身ですか?」
「いえ。秋田です」
「秋田ですか。どうされました?」
前日からの痛みの経緯を説明すると、
「ふんふん。ふんふん。ふんふん。ああ、そう。ふん。痛風発作ですね」
「痛風発作?」
「ええ。ふつう親指の根本の辺りが痛くなりますが、
くるぶしの辺も頻度が高いです」
「そうですか」
「処方箋を出しておきますから、
それを飲んで数日安静にしていてください」
診察室を出、
受付に掲示されている証書をみれば、
弘前大学医学部卒業とあった。
はぁそれで、
なまりなつかし新潟ご出身ですかと。
そんなわけで、
十六、十七と約束していた方との約束はすべてキャンセル。
申し訳ないことになってしまいました。
ところで。
事前の問診票の項目に、
「痛みの原因として思い当たることはありますか?」
とありましたから、
「ビール、いか」と書いたのですが、
診察室に入るまでの間、
どうもそのことが気になり始め、
少しぶっきらぼうであったかと反省し、
たものの、
今さら修正するのも
おかしなものだと思ったり、
しているうちに、
だんだん可笑しくなってきた。
「痛みの原因として思い当たることはありますか?」
に対して、
「ビール、いか」は
どう考えても可笑しい!
質問は、
「思い当たること」であって
「思い当たるモノ」ではない。
書くとすれば、
「この夏、ビールと烏賊を過剰に摂取したと思われること」
例えば、そう書くべきでありました。
なんとも粗忽であった。
まさしく後の祭り。
慮るに、
痛みがひどく、
それどころでは全くないのでした。

・好きなれど麦酒と烏賊はいけません  野衾

なんでもないもの

 

・天高し何もする気が起きぬなり

ランボーは、
「僕はあらゆる職業が嫌いだ」と言ったそうですが、
わたしは、
あらゆる職業に就けないのでないかと、
小さいころ疑っていました。
具体的にイメージできませんでした。
父は百姓で、
今も米を作っていますから、
父のようになりたい
的なことも、
思わないわけではありませんでしたが、
それはそれで
大変な仕事だなぁと思ったりもし、
ほかになんかあるかなぁ、
ないかなぁ、
とか。
だいたいお金っていうのがピンと来ませんでした。
大学でマルクスを読んだら、
ははぁ、
幻想みたいなものね、
と思ってそのまま。
ともかく、
いま編集者、出版人です。
面白いし、
割とまじめに取り組んできたつもりですが、
ちょっと初期化したくなる
ときがありまして、
若い頃遠くから眺めていた詩を
今頃になって読むのは、
そんなこころが
駆動力になっているのかもしれません。
光線が気になりますので、
このごろは、
なんでもないものに憧れます。

・秋風や恋は遥かの四十年  野衾

飯島耕一先生を悼む

 

・天高くゴーと鳴らして去りにけり

飯島耕一先生が亡くなられて一年が経つ。
このごろ遅ればせながら詩に興味を持ちはじめ、
詩を読んだり
書いたりしているのは、
先生が道を示してくださったからと思えて仕方がない。
先だって、
新倉俊一さんの
『西脇順三郎全詩引喩集成』を読んでいて、
ハッと目が止まった箇所があった。
西脇順三郎の『鹿門』という詩集に、
「「死人の言葉は火で発音する」と/気の早いおかみさんはエリオットのことを思つて」
という詩行があるけれど、
T.S.エリオット『四つの四重奏曲』の第四部
「リトル・ギディング」Ⅰの五〇行以下への言及だそうで、
エリオットの英詩では、
‘the communication /of the dead is tongued with fire beyond the language
of living’
すぐに、
写真集『石巻 2011.3.27~2014.5.29』を思った。
今年一月七日、住吉公園の飯石(いびし)大島神社どんと焼き
に集まった人びとの
言葉では言い尽くせない表情を。
そうか。
火の言葉に耳を傾けていたのかと。
飯島先生を追悼する拙文が秋田魁新報に掲載されました。
コチラです。

・今日すること下版と手紙とショーコーさん  野衾

訂正とお詫び

 

・寂しさも新しくあり秋の風

先月二十日、東京堂書店神田神保町店にて、
文藝春秋前社長と対談させていただきましたが、
その要点を「図書新聞」のご担当者が
正確にスピーディーにまとめてくださり、
「図書新聞」10月18日号に
その前編として記事が掲載されました。
コチラです。
後編は11月8日号(11月1日発売)に掲載予定。
事前にわたしがゲラをチェックしたのですが、
粗忽にも、
訂正すべきところに気づきながら
スルーしてしまった箇所がございます。
まったくのわたしの責任です。
上記リンクを張った記事中、
傍線を引いた部分、
「大学のときに、林竹二さんの毎日出版文化賞を受賞した
『田中正造の生涯』を読んだのがきっかけで新井奥邃と出会った。
その本の中に、
「新井奥邃という人は、あまり一般には名が知られておりませんけれども、
幕末期における仙台藩の生んだ最大の人間と言ってよろしいように思います。
特にキリスト教の信仰、その思想的な把握の深さにおいては、
日本ではもちろん、
世界でも比肩するものは稀であろうと思います」と書いてある。」
とありまして、
わたしが新井奥邃を知ったきっかけは、
林竹二の『田中正造の生涯』(講談社現代新書)
で間違いないのですが、
関連書としてもう一冊、
同じ著者による、
『田中正造 その生と戦いの「根本義」』(田畑書店)
という本がございます。
引用部分はそちらの本の97頁に出てきます。
いずれの本も、今は絶版らしいのですが、
古書では割と入手しやすいはず。
訂正してお詫びいたします。

・音立てて上空にあり台風過  野衾