三冊三人

 

・秋澄むや本の中より現れり

観音崎公園にあるという西脇順三郎の詩碑を見に、
小旅行を計画していたのですが、
からだが少々バテ気味なので、
大事をとり
またの機会の楽しみにとっておくことに。
時間が浮いたので
ゆっくり本が読めました。
吉岡実『「死児」という絵〔増補版〕』(筑摩書房)
飯島耕一『浦伝い 詩型を旅する』(思潮社)
新倉俊一『詩人たちの世紀 西脇順三郎とエズラ・パウンド』(みすず書房)
これでみても、
まぁこのごろは詩と詩論が多くなりました。
三冊三様ですけれども、
飯島さんのは詩集でもありますし、
文体もそれぞれ異なりますが、
共通して言えるのは、
書き手それぞれの背中が見えないこと。
見えることでなしに
見えないことの共通性。
頭の使い方が似ているせいではないかと思われます。
頭も体の一部ということで、
バランスをはかり、
頭を働かせすぎないように注意する、
ゆっくり愉しんで書く、
そのようにして書かれた三冊であると感じます。
月の裏側が見えないように、
人の背中も見えません。
自分のものだけでなく誰のものでも。
押されたことを感じるだけです。

・ふるさとの色を集めて青蜜柑  野衾