詩人のエッセイ

 

・夜半過ぎ月下何処の蝉の声

人生を深くかなしく味わっている
せいなのか、
無垢と罪と悪徳と
恥と死と
ユーモアとゲームの処在を知る
せいなのか、
(田村隆一は詩を死のように発音していたとほかの詩人が言った)
洋の東西を問わず、
詩人の書くエッセイは少し笑えて面白い。
W・H・オーデンの『染物屋の手』(晶文社)
一九七三年発行、
中桐雅夫訳、
A5判二段組四七八ページもそんな一冊だ。
長田弘さんの『私の二十世紀書店』、
これまた詩人の、本に関するエッセイでとっても面白く、
取り上げられている本を全部
読んでみたくなる麻薬のような本なのだが、
そこでも印象深く紹介されていたから買っていた
のを、
ようやくこのごろ棚から下ろして読み始めた。
例えばこんなところに目が行った。
「われわれが知っているたいていの文学作品は、
二種類のうちのどちらかに属する。
二度とは読みたくない本――ときには読了できないこともある――
と、いつも楽しんで再読できる本である。
しかし、三つ目の種類に属する本は、ほとんどない。
そんなにしょっちゅうは読みたくはないが、
われわれが適切な気分のときには読みたくなるような唯一の本である。
どんなにいい本でも、あるいは偉大な本でも、
この代わりをしてくれるものはない。」
その通りだなあと思って、ページの右上に付箋を貼る。
オーデンにとって、
「三つ目の種類に属する本」とは、
バイロンの『ドン・ジュアン』なのだそうだ。
『染物屋の手』は、
わたしにとって、
さしずめ「三つ目の種類に属する本」ということになろうか。
『染物屋の手』の口絵には、
オーデンのモノクロ肖像写真が掲載されている。
どうしたらこんな深い皺が刻まれるかと危ぶまれるぐらい、
まるで彫刻刀で掘ったような
文字通り深い顔だ。
自分の体験してきた人生と、
学校で習ったり
テレビや新聞で見たり読んだりしていた横で、
こんな人がこんなふうにも生きていたのかと思わされる
のがまた詩人のエッセイだ。
オーデンは、
一九〇七年生まれ。
一九七三年に亡くなった。
イギリス出身。その後、アメリカ合衆国に移住。

詩人ではないけれど、
弊社専務イシバシの『人生の請求書』が
神奈川新聞文化欄で取り上げられました。
コチラです。

下の写真は、秋田のなるちゃん提供。  くるむごと親が子を抱く胡瓜かな

・おもしろくやがてかなしき請求書  野衾