体リズム

 

・形変へ行く雲の声届かざり

山で生れ育ったせいか、
基本的にのんびりしています。
たったか動こうとすると、
いろんなものを忘れます。
傘だったり定期入れだったり財布だったり
本だったり。
アマゾンに注文し、
小さな紙袋に入れて持ち帰るはずの五、六冊の本を
電車内に忘れたことがありました。
あのときは、
少し靴擦れを起こしており、
意識がそちらへ赴いていたのでしょう。
なので、
ゆっくりゆっくり、
さらにゆっくりと意識を這わし、
この頃は行動するようにしています。
と、
行動派の専務イシバシから、
「切符買うのにどうしていつもそんなに時間かかるんですか!」
など警告を発しられもします。
が、
Suicaを持つようになり、
切符については
注意を受けずに済むようになりました。
古典を、
それも相当古い古典を読んで落ち着くのは、
中身の面白さもさることながら、
文に息づいている
時間とリズムが今よりも
ゆっくりゆったりで、
心地よいのかもしれません。
けふもゆつくりまいらうと思ひます。

写真は、ひかりちゃん提供。

・半ズボンおーい雲よと叫びけり  野衾

大空

 

・真夏日の報あり吾も顰め面

ボードレールの詩に有名な万物照応がある
万物照応
ていふことは

たとえばミミズと太陽は
照応してゐることになる
たとえばあなたのマニキュアと
深海のゴブリンシャークは照応してゐる
亡くなつた祖母と
けふ観た映画だつて
鎌倉と
十年つかつてゐる耳掻きも

出稼ぎの父が稼ぎの金を貰えずに
息子のため秋田で買つたナショナルGXワールドボーイと
ピンク・フロイドは照応してゐる

朝の祈りとガムランの音
複素平面と去年《こぞ》の夢
言葉と物
胡瓜と夕日 光はいのちを育み
苛立つ漱石と扇風機
あつたらいいもの
E=mc²
わたしとあなた 交はることのない

磁石のN極とアメリカは
スウェーデンボルグとぼくの悩み
サンバとゴリラ
コンガとトング
メキシコの光と闇
万物照応 はてのはて
三千世界の 二人ならむ
雪降り止まず いのちのき
大空をかよふ幻《まぼろし》夢にだに
見えぬきのふをあすはたづねよ

・下の夏眺め暢気の雲が行く  野衾

後半戦

 

・破れ鐘や蝉しぐれして墓場まで

弊社は、本日より通常業務に戻ります。
おぼんが終ったこの時期、
ぐっと涼しさを増してきますが、
季節の変化とともに、
稲田では
稲が色づき稲穂が垂れ、
やがて収穫の時期へと向かいます。
稲作地帯で生まれ育った関係からか、
日数的には、
一月から六月までが前半、
七月から十二月までが後半なのに、
楽しみにしていたお盆休みが
矢のように過ぎるや、
気分としては、
これからいよいよ後半戦!
の様相を呈してきます。
闘い争うわけではありませんが。
今年は周年行事の計画もあり、
気を引き締めてまいりたいと思います。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

・テレビ消す近く遠くの盆踊り  野衾

私は二度と戻らない

 

・盆踊り彼岸此岸の社交場

タデウシュ・カントルの芝居をみたのは
いつのことだったろう
私は二度と戻らない
理屈なら ことばなら 知っている
知ってはいるけれど
腹でない
沁みていない

カントルの芝居を み
私は二度と戻らな い
拍手は しない
笑いは しない
感動も
ただ
私は二度と戻らない が
沁みてきた
呪文に 似
祈りに 似

あれはたしか渋谷だった
だれと
みに行ったのだった か
それさえ も

私は二度と戻らない
涙は
やって来そうにない
世界は
光りと音で出来てい る
アスファルト下の大蚯蚓

・盆踊り太鼓叩きの親父殿  野衾

弊社は明日13日より17日まで夏季休暇となります。
18日から通常通りの営業です。
よろしくお願い申し上げます。

天才カルロス・レイガダス

 

・魚眼もて夢をうつつの野分かな

カルロス・レイガダスの『闇のあとの光』を観た。
メキシコのとある村。
野原で雷が轟き、牛が草を食べている。
馬がのんびり歩いている。
犬が駆け回る。
可愛い女の子が無邪気にはしゃいでいる。
演技していると思えない。
監督の娘だそうだ。
だろう。
始まりから不穏な空気が充ち満ち、
強烈強力な磁場が形成される。
ああ、
これは、動く、写真集!!
一瞬も目が話せない。
最初の野原でのシーンから、
掘っ立て小屋の依存症の会での告白セラピー(?)、ラグビー競技場の控え室、
豪華レストランでの会食、サウナでの乱交、海浜、倦怠期夫婦の会話、
泥棒、ピストル、ニール・ヤングの歌を所望する死の前の夫、
ピアノに向かう妻、家族の和解、等々と。
一つ一つのシーンが美しく、印象深く、見入ってしまう。
魅入ってしまう。
自然と人間が織り成すもろもろの現象が、
いまここで生起している。

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
(宮沢賢治「春と修羅」より)

この映画は映画ではあるけれど、
動く写真集であり、
死と詩の映画でもある。
何度でも見たくなる。
体感し方言をしゃべりたくなる。
土にまみれ疼き勃起し。
おもやみ、やばつぃ、さしね、ぎぢごます。
赤い幽霊と見えたのは、
角が生えているしメキシコの話だから悪魔なのだろう。
「メキシコは世界でもっとも頻繁に首が切断されている国」と監督がいう。
全編間断無き性欲情的超絶実感エロ映画!!

・盂蘭盆会ヘクトパスカル不穏なり  野衾

下版の日

 

・山頂を白く飾りて雲がゆく

著者から原稿をいただき組版を起こし、
何度かの校正作業を経、
これで良しとなったら印刷所に版下(はんした)を渡す。
版下を印刷所に渡すことを下版(げはん)、
あるいは降版(こうはん)という。
たとえば『新井奥邃著作集』全十巻の場合、
毎回版下を持ち、
都営地下鉄新宿線菊川駅近くの印刷所へ出向いた。
版下と台割(本のページ構成を記したもの)
を渡すと、
営業部長さんが工場内に設置された自販機で
缶コーヒーを買ってくださり、
ごちそうになった。
ただの缶コーヒーが
ただの缶コーヒーでなくなる。
「よろしくお願いします」と言って立ち上がり、
現場の方々へも挨拶してから外へ出、
ホッと胸を撫で下ろす。
この瞬間が気持ちよかった。
やれやれで。
愛煙家なら道端でやおら一服となるところ。
下版には、
心地よい緊張感と達成感が伴う。
それがこのごろは、
下版といっても物の授受はなく、
もっぱらPDFとやらのデータの送信で済ますことが多い。
本当に相手に渡ったのかどうなのか、
不安だ。
目には見えず触れもしないから、
まるで屁みたい。
が、
いつの間にやらそれが普通になった。
中身が変わったのだから、
いずれ言葉も変わるだろう。
昔を懐かしむ気が
ないわけではないけれど、
ちょっぴり相当あるけれど、
それはそれとして、
恩寵の緊張だけはなくしたくない。
今日は下版の日。

・風を呼び風と戯る猫じゃらし  野衾

歯医者にて

 

・秋を載せもの思ふ矢か風来る

きのうの定期健診で思い出したのですが、
ハッシーこと、
写真家の橋本照嵩さんから聞いた話。
検診で歯医者に行ったときのこと、
歯科衛生士をそばに居させ、
年配の女医が
ハッシーの歯と歯ぐきの状態を調べてくれた。
ハッシーは口を大きく開いている。
「まったく今どきの若い者は。
私らが若かったころは…」
「アアアアアッ!」とノド声を発するハッシー。
女医は、
ハッシーの歯や歯ぐきと
全く関係のない話をし始めた。
「………らまだしも、今はほんと、なっていません」
「アアアアアッ!!」
ハッシーだんだんイラついてくる。
イラついてくるが、
如何ともしがたく。
人間、
口の中をあれこれ調べられているときほど
無防備なことはない。
それをいいことに、
かどうかは定かならねど、
また、
ハッシーが黙っているからなのか、
てか、
口を大きく開いたまま
しゃべれる人(腹話術は口を閉じている)は
古今東西いないわけだが、
ともかくも、
無防備かつ口中全開状態のハッシーをよそに、
女医は延々若き歯科衛生士の彼女に
講釈を垂れ給ふたらしい。
歯科の彼女だからハッシーか。
ハッシーのハは歯で、シーはShe.
ダジャレはともかく
以上のことを橋本さんは、
なさけなさそうに
また悔しそうに教えてくれた。
わたしはふんふん、ふんふんと
初めは黙って聞いていたのだけれど、
その時の橋本さんの姿を後から思い浮かべたら、
なんだかぶつぶつと
笑いがこみ上げてきた。
話を聞いてから一週間は経っているのに、
思い出すたび可笑しい。
一日のうちで嫌なことがあったり、
ムカついたりしたとき、
歯医者で上を向き、
大きく口を開いて悔しい思いをしている
橋本さんの姿を思い浮かべると、
この世のくだらない意味が吹き飛び、
感情の波はいつしか治まっている。
不思議な魔法の笑い。

・夜の空に光り生れて闇青し  野衾