加山雄三の存在感

 

・台風の報せ暗躍するは誰ぞ

きのうテレビを点けたら、
加山雄三が出ていました。
昨年十月に亡くなった作詞家・岩谷時子さんとの
コンビで作った歌についての話が主でしたが、
その語り口調が淡々としており、
聞いていて実に気持ちいいものでした。
加山雄三といえば、
『君といつまでも』の加山雄三で、
なんだかニヤケているなぁと思ったものでした。
「幸せだなァ 僕は君といる時が一番幸せなんだ 僕は死ぬまで君を離さないぞ、
いいだろ」のセリフのところは、
けっ! どうぞご勝手に、
いくらセリフでも、
よくそういうことをへらへら照れずに言えるなぁと、
見ているこっちが赤くなった。
ということで、
悪い印象はありませんでしたが、
それほどいい印象もなく、
ああ、出ているなあぐらいなもの。
ん! と、身を乗り出したのは、
成瀬巳喜男監督の映画『乱れる』。
高峰秀子との共演で、
高峰秀子が好きで
高峰秀子を見たくて観たのでしたが、
そのときの加山雄三がとてもよかった。
義姉を思いやる弟の気持ちが痛いほど伝わってきた。
それからです加山雄三がテレビに出ていると、
好ましく見るようになったのは。
きのうの番組で、
今年記念すべきコンサートが催されることを、
司会進行役の武田鉄矢が
加山の年齢を告げずに紹介すると、
「いいんだよ言って。喜寿でめでたいんだから。七十七歳の祝いさ」と。
これまた堂々として格好よかった。

・そろそろだ竜頭蛇尾となれ台風  野衾

また青さ

 

・じりじりと大型台風接近す

先日、「鷗」というタイトルの詩を書きまして、
そのなかに、
「いのちの滴の 青さ 甘さ また苦さ」
という一行を入れました。
それは、
書き始めの始めから
ひょいとでてきて
書きとめたものでしたが、
言葉の調子というかリズムというか、
なんか知ってるぞ、
どこかで見ている口にしている、
なんだろう?なんだろう?と思ったら、
宮沢賢治の有名な
「春と修羅」の一節「いかりのにがさまた青さ」でした。
そうだったか!
驚きました。
若いときは賢治が好きで、
文庫本で飽き足らず、
校本全集まで買って読み、
教師を辞めるとき先輩教師に買ってもらい、
東京の出版社に入って
生活が少し安定してきてから、
先輩に頭を下げ以前買ってもらった全集を
買い戻したそれぐらい好きでしたが、
このごろとんと読まなくなっていた。
ところが、
体が記憶していたとでもいうのか、
「いかりの~」のフレーズが不意に口をついて出た。
不思議な気もしたけれど、
案外そういうものかもしれないと思い、
賢治にぐっと、
言葉を通してですが
近づいた気さえしました。
「いのちの滴の 青さ 甘さ また苦さ」
の行は、
目で見、口で味わい、精神においてのことではありましたが、
賢治の詩のイメージが
体が記憶しているほどあまりに強すぎ、
気持ちに引っかかるものがあり、
「いのちの滴 かけがえのない」とし、
あわせ、
前と後ろの行を変えました。

・まま行けよなんで曲がるの台風よ  野衾

人生処方詩集

 

・なつかしき雲立つ夏のいたさかな

E・ケストナー・小松太郎訳『人生処方詩集』。
おもしろいタイトルの詩集だなあと思って
買ったのだったかもしれません。
ちくま文庫に入っています。
奥付をみると、
一九八八年十月二十五日第一刷発行になっており、
その対向ページに
一九八八年十二月七日了となっていますから、
文庫がでてすぐに読んだものと思われます。
もともとは
一九五二年に創元社から刊行されました。
寺山修司がこの本に触れているのをどこかで目にし、
それで文庫になったとき、
すぐに買ったのじゃなかったか
とも思いますが、
記憶なので定かではありません。
さてこの詩集、
曰くつきのものでありまして、
どういうことかといえば、
作者ケストナーが書いた四冊の詩集は、
ナチス政権下で焚書に附され
絶版になっていたところ、
四冊の詩集のアンソロジーというかたちで二冊、
国外で出版されました。
焼かれた詩集に入っていた詩のほとんどは、
二冊の詩集に拾われたそうです。
そのうちの一冊が『人生処方詩集』。
そんなことが訳者「あとがき」に書かれてあります。
この本、
ふつうの本のように、
ふつうに目次がありますが、
目次のほかに、
「用法」という、
いわば索引がありまして、
「年齢が悲しくなったら」「貧乏に逢ったら」「知ったかぶりをするやつがいたら」
などとなっており、
これがいわば人生の苦の処方箋というわけなのでしょう。
「生活に疲れたら」の項目には、
例えばこんな詩が分類収録されています。

臆せず悲しめ

悲しいときには 悲しめ!
のべつ 君の霊魂の見張をするな!
君の だいじな命に
かかわることもあるまい

*****

・幾度の入道雲の青さかな  野衾

カラス会議

 

・休日の会議終りて夏の空

わたしの住む家は山の頂上にあります。
従いまして、
東向きの窓から見える景色を
日々楽しむことができ、
実際に楽しんでもいるわけですが、
このごろ、
朝六時ぐらいでしょうか、
坂の途中にあるアパートの屋根の上で
カラスが四羽集まっては、
なにやら、
あおっあおっあおっ、っあーっあーっあー。
あおっあおっあおっ、っあーっあーっあー。
おあっおあっおあっ、っあーっあーっあー。
うるさいったらありゃしない!
とくに、
あおっあおっあおっと鳴かれると、
なんだか、
へ馬鹿にされているような気がしてきます。
「あおっ」が「おあっ」に変化したり。
気になって気になって、
とても本など読んでいられない。
「あおっ」と「おあっ」では
意味が違っているのかもしれません。
カラスならカラスらしく、
かーかーかーとまでは言いませんが、
あーあーあーでいいではないか。
それが、
っあーっあーっあーとなり、
挙句の果てに
あおっあおっあおっだったり、
おあっおあっおあっだったり。
時に興奮してくるのか、
あおっあおっあおっあおっ!
おあっおあっおあっおあっ、おぎゃぎゃぎゃぎゃーーー!!!
みたいな。
なにをしゃべくっているのか。
三羽でなく五羽でなく、
必ず四羽であることも何やら怪しく。
きょうもこれから会議でしょう。

写真は、秋田のなるちゃん提供。

・忘不忘寅さんを見て寝る日かな  野衾

写真集『石巻』

 

・坂下る野毛の女将の夕べかな

本年九月刊行予定で進行中の写真集『石巻』には、
三年間四万七千カットのなかから選ばれた
167点が収められることになりますが、
167枚の写真を順番にめくっていくと、
おのずと物語が醸し出されてくるようで、
いろいろ気づかされることが少なくありません。
この写真集のクライマックスは、
今年行われたどんと祭りに集まった人の顔を写した3枚の写真。
アップでとらえられた三人のお顔に、
編集しながら
何度も見入ってしまいます。
なんという表情でしょう。
灯を見ているそのお顔から、
陶然、恍惚ぐらいしか思い浮かびません。
あるいは法悦、三昧、慈悲、悲願、
のお顔ともいえるでしょうか。
この表情に、
たとえば役者が近づこうとしたら、
どれだけの稽古と
演出の手が加えられなければならないか、
天才的な役者と演出家が
資本主義に縛られない仕込み期間を経ても、
めざす表情が実現可能かどうかあやしい気がします。
この写真集が完成したならば、
アレクサンドル・ソクーロフ、
アンジェイ・ワイダ、
ピーター・ブルックの三人に
ぜひ見ていただきたいと願っています。
恩師竹内敏晴にお見せできなかったことが悔やまれます。

・梅雨空を眺め飲む酒蕩けたり  野衾

猫娘

 

・ベランダの毛虫もこもこ急ぎたり

寝る前に、
行儀が悪いと知りつつも、
布団の上でNHK「首都圏ニュース845」を見る
のが倣いでありましたが、
それは、
ニュースの内容もさることながら、
わたしの心友りなちゃんが成長した姿とも思えた
守本奈実さんが週代わりで
担当していたからでもありました。
守本さんは学習院大学文学部卒なので、
学習院大学文学部仏文科教授の中条省平先生にお目にかかった折、
守本さんのことを尋ねてみました。
「NHKアナウンサーの守本さんをご存知ですか?」
「知りません」
「学習院大学文学部卒なのですが…」
「フランス文学科ですか?」
「そこまでは知りません」
「守本さんがどうかしたのですか?」
「いえ、別に…」
「三浦さん、守本さんのファンなのですか?」
「いえ、別に…」
そんなやりとりもあった守本さんですが、
しばらく前から見なくなりました。
部署替えというのか、
担当する番組が変わったのでしょう。
出世したということなのでしょう。
守本さんに代わってこのごろは、
なんとも昭和な松村正代さんと猫娘の上條倫子さんが
週代わりで出ています。
松村さんはきれいな人ですが、
いろいろ工夫はしているようなのですが、
地味です。
テレビ画面に向かいながら、
ああ、きょうも地味だなあと、
ついひとり言をつぶやいている自分に気づきます。
に対して上條さんは、
最初、
ずいぶんキツそうに見えたのですが、
そう感じた人の声が届いたとでもいうのか、
最近は、
ずいぶん笑顔が多くなり、
かわいい猫娘といった風情を醸し出しています。
気象予報士の斉田さんとコンビで天気予報を伝えるときなど、
くるり振り向く場面では、
ドキッとするほどかわいく感じる今日この頃。
かわいさが進化しています。
なので、
きのうも見てから眠りました。
そうしたら、
夢に、
猫娘の上條さんはでてこなくて、
脈絡もなく真矢みきさんがでてきました。

・炎天下哲学したる乳母車  野衾

行替え

 

・雨の日やピンクフロイド鳴らしたり

この日記をわたしは
パソコンに入っているメモ帳に書き、
読み直してから会社のブログにアップします。
いつの頃からか、
改行を多くするようになりました。
ほかのブログを参考にし、
見易さを考えてそうしましたが、
このごろは、
音読したときの呼吸が加わり、
自分で音読してみ、
テンポと間合をはかりつつ
行替えをすることが多くなりました。
ゆっくり読んで欲しいときは
短く行替えし、
速く読んで欲しいときは一文を割りと長めに引っ張る具合。
それと、
書き手であるわたしの気持ちが
比較的安定しているときは
改行が多くなり、
感情が激してくると、
まして怒りがもたげているときなどはスピードが増し一文が長くなる。
反対に、
怒りがあっても、
それを放置してはならぬと
自らを戒め、
ま、ま、まっ、
と、
抑えて書くときは、
もてあまし気味のこころを鎮めるべく、
改行を多くします。

・五月蝿くて面倒臭き日もありぬ  野衾