ヒエログリフに匹敵!

 

・刻々と瞬き惜しむ若葉かな

創価大学教授の石原忠佳(いしはら・ただよし)さんの近著
『ベルベル語とティフィナグ文字の基礎』について、
もう一つ。
この刊行を喜んだベルベル人の統一団体
「21世紀リーフ・アマズィク協会」会長ヤーシン・ラフムーニ氏が
ベルベル語とアラビア語で序文を書いてくださった
ことはすでに紹介しましたが、
著者の石原さんが
序文に日本語訳を添えたものを
ラフムーニ氏に送ったところ、
さらに喜びのコメントをくださったという。
その文章が素晴らしく、
それが日本語訳され、
本書「あとがき」に収録されています。
翻訳は石原さん。
「序文が日本語、ティフィナグ文字、アラビア文字で綴られているのを見て、
エジプト史の一場面が浮かんできました。
ナポレオンのエジプト遠征の際に、
ナイル川支流で発見されたロゼッタ・ストーン(Rosetta Stone)に、
三段にわたって異なる言語が刻まれていたことです。
第1段はヒエログリフ(聖刻文字)、
中段はデモティック(古代エジプト民衆文字)、
そして下段にはギリシャ語が綴られていましたが、
1822年フランスの言語学者シャンポリオン(J. Champollion)によって解読され、
同じ内容であることが明らかになったことはご存じだと思います。
今回の序文の冒頭に綴られている日本語の文字は、
私にとってはヒエログリフのようなものです。
今日までタリーフィート語を取り上げた文法書が、
外国で刊行されたことは一度もありませんでした。
ましてティフィナグ文字を紹介した出版物は言うまでもありません。
そのようなわけで、序文のティフィナグ文字は、
全世界の人々にとっては、ヒエログリフに匹敵するのかもしれません」

写真は、ひかりちゃん提供。

・光り充つ五月の森の水族館  野衾

ベルベル人の音楽と日本の唄

 

・一年の後半戦に入る日かな

今年二月に『ベルベル語とティフィナグ文字の基礎』という本を出した。
著者は、
創価大学教授の石原忠佳(いしはら・ただよし)さん。
ベルベル人は、
3000年以上前から北アフリカに住む原住民。
著者の石原さんは今から40年前、
アフリカの風土と文化に興味を持ち、
その言葉を学ぼうと思い立った。
気の遠くなるような時間の中で、
アラビア語を話すエジプト人も理解できない言語に遭遇する。
それがベルベル人のベルベル語だった。
ベルベル語は、
当時公の場では使用が禁止されていたらしい。
わたしたちは学校で、
「意味の分からない言葉を話す野蛮人」
という意味のギリシャ語「バルバロイ」の語を習うが、
ベルベルとはこのバルバロイに由来するという。
今回の『ベルベル語とティフィナグ文字の基礎』は、
石原さんの長年の研究成果をまとめたもので、
世界で初めての体系的な文法書ということになる。
この刊行を喜んだベルベル人の統一団体
「21世紀リーフ・アマズィク協会」会長ヤーシン・ラフムーニ氏が、
ベルベル語とアラビア語で序文を書いてくださった。
石原さんはこの本を外国語に翻訳し、
辞書をつくる構想もお持ちだ。
ところで、
石原さんによれば、
ベルベル人と日本人ではいろいろな点で似ているという。
たとえば、
赤ん坊に蒙古斑があるとか、
来客者に何も聞かずに茶をふるまうとか。
驚くのは、
ベルベル人の伝統民謡の調べが日本の民謡に似ているらしいこと。
津軽民謡や木曾節を現地の人に聞かせたところ、
「これは我々の祖先の音楽だ」と言ったという。
今回の出版にあたり、
ベルベルの音声と音楽を収めたCDも別売で付けた。
が、
粗忽にもわたしは未聴である。アッチャ~!!
似ている「らしい」と言ったのはそういうわけで、
さっそく聴いてみます。
『東北を聴く――民謡の原点を訪ねて』(岩波新書)
の著者・佐々木幹郎さんにもお知らせしなければ!

・瑞々し浴びて嬉しい五月かな  野衾

うのき食堂

 

・ふはりふは舞ひて散りゆく桜かな

連休期間中、父のいとこの葬儀があり、
父も母も出ずっぱりだったため、
我が弟が車を運転し、
もっぱら移動の足になってくれました。
有難し!
二百種二千本の桜が植えられている
今年は連休時期がまさに見ごろの日本国花苑、よかったぁ。
ひと多し。
ゆっくり散歩していると、
向こうから、
シャキシャキ、パキッ、シャキシャキ、パキッ…
と、
リズミカルに歩いてくるご婦人がいて、
目をみはる。
すごく直角。
「パキッ」のところで曲がります。
音までは聴こえませんが、
聴こえてきそうなぐらい鋭く。
弟が「あ、N美さんのお姉さんのR子さんだ」
シャキシャキ、パキッ、シャキシャキ、パキッ…
「こんにちは」
「はぁ、こんにちは。来てらっしたんしかぁ」
しばし立ち話。
数分ののち、
R子さん再び歩き始める。
わたしは振り向き
なんとなく目で追いかける。
シャキシャキ、パキッ、シャキシャキ、パキッ…
翌日は、
弟が五城目町にある
うのき食堂に連れて行ってくれた。
五十年ぶり、は大げさだが、
ほぼそれに近い!
懐かしかったぁ!!
店に入った瞬間、
ラーメンのスープの香がつーんと鼻を刺激し、
一気にタイムトラベル、
子ども時代に戻りました。
大人になってみると
祖母は身の丈が小さいひとだと分かりましたが、
あの頃は祖母よりずっと小さかった。
いつも祖母にくっついていた気がします。
というようなことを思い出しながら、
大盛り中華そばを完食。
んめがったー!!

・あはあはと大和のくにの若葉かな  野衾

叔父の粗忽

 

・ふるさとの色降り來る国花苑

五月二日に長患いをしていた父のいとこが亡くなり、
葬儀が執り行われた。
都会に比べると、
田舎の儀礼は
まだ少し大掛かりなようで、
母は三日連続で手伝いにでかけた。
葬儀へは父と近所に住む叔父が出席。
父のいとこは叔父のいとこでもあるわけで。
当日、
父は礼服を着込み叔父を待っていた。
ほどなく黒の礼服に身を包んだ叔父が坂を下りてきた。
叔父の家までは歩いて二分とかからない。
玄関で靴を脱ぎ、
居間に上がった叔父いわく、
「これ。兄貴に似合うがとおもて…」
ふがふがと皺の寄った口で言った。
見ればネクタイピンなのだった。
黒のネクタイに合うものを父はちょうど探しているところだった。
わたしは叔父に尋ねた。
「父さんがらたのまれでいだのが?」
「なも。んでにゃよ」
叔父は、頼まれもしないのに、
機転をきかし、
父に似合うネクタイピンを持参したのだった。
近所に叔父が居てくれるおかげで、
農作業はもとより、
日々の暮らしにおいて
どれだけ助かっているかわからない。
今年の二月、
屋根の雪を下ろしていて梯子ごと投げ出され、
腰を強く打ったときも
病院まで父を運んでくれたのは叔父だった。
叔父は、
父のことを兄貴とよぶ。
兄貴、兄貴。
叔父が持参したネクタイピンは父によく似合っていた。
父も満足げだった。
父は叔父に礼を言った。
「なんもなんも」と叔父。
と、
「あっ!!!」
大きく開いた叔父の口が空洞だった。
ん!?
「歯、忘いだ!」
叔父は速攻家に戻る。
やがてふたたびやってきて、
「これで、えがべ」
ばっちり入った歯を見せ笑った叔父、
父と並んで家を出た。

・遠蛙聴きて眼を閉づ夜半かな  野衾

キムチ臭

 

・口の端に上せてうれし五月かな

一昨晩キムチを食べた。
にんにくがよくきいてとても美味しく、
ざくざくと。
ビールも冷えていたし。
床に入る前によく歯をみがいた。
朝となり、
キムチのことを思い出し、
いつもより念入りに歯をみがく。
いつもより濃い目にコーヒーを淹れる。
八時四十五分に家を出、
フリスクペパーミントをいつもより多く口中へ。
でも、
なんか気になるなぁ。
会社に着いて、
Y山さんからいただいたお菓子を食べた。
さらに。
エレベーターで下へ降り、
自動販売機でブラックコーヒーを買って飲んだ。
まだ気になる。
となりの武家屋敷に尋ねる。
「キムチ臭くない?」
「離れているから分かりません」
「あ、そ」
ふむ。
なんか気になるなぁ…。
午後になってようやく忘れ、
夕刻近くになると
もうすっかり忘れ、
帰宅したら欲望のほうが勝ち、
また食べた。
食べてしまった。
やっぱり美味しい!
でもちょっと理性が働いたのは、
量が一昨晩の半分くらい。
てか、
一昨晩食べ過ぎて
それしか残っていなかった。
今日は来客もありますゆえ、
万全の態勢で臨もうと思います。

・新緑を浴びて息する色をなす  野衾

適材適所

 

・紙袋に本いっぱいの五月かな

先だっての朝、
みんなのいる場所で、
適材適所について話をしました。
人のことにかぎったことでなく、
モノも、
そのときどきのことばもと。
会社の現状と先々を考え、
いま会社にとって大事だと思うから言ったのですが、
そのとき、
ひとつの詩がわたしの胸中にひびいていました。
今年二月にお亡くなりになった
まど・みちおさんの「リンゴ」という詩です。

リンゴを ひとつ
ここに おくと

リンゴの
この 大きさは
この リンゴだけで
いっぱいだ

……………

三連四連とつづく第四連に、
「あることと/ないことが/まぶしいように/ぴったりだ」
とあります。
あることとないことがまぶしいようにぴったり。
ここがとても好きです。
「場」ということばも下りてきました。
いま『西田哲学から聖霊神学へ』のゲラを読んでいます。
すべてが、すべては、ぴったりあっている。
出会いも別れもまた出会いも。
そんなことを考えての適材適所でした。
ひとも、モノも、ことばもひびき、ひびきあう。
きょうから五月。

・音なくて上からしずく慈雨ていふ  野衾