後ろ向きに

 

・春の月体育館の上にあり

きのうに引き続き竹内敏晴さんのことを。
竹内さんは一九二五年生まれ。
わたしの父より六歳上で、
「もう一人の父」として親しくさせていただき、
春風社を起こしてからも、
事あるごとにお力添えをいただきました。
その竹内さんがよく語っていたことに、
「後ろ向きに歴史の中に入る」があります。
たとえば弊社刊行の『待つしかない、か。』(木田元さんとの対談)に、
こういうことばがでてきます。
「二十歳で戦争が終わったでしょう。
デモクラシーとかヒューマニズムといった占領国のイデオロギーが、
バーッと入ってきた。……
時代がどんどんうごいていくなかで、
私は後ろ向きに歴史の中に入っていくという感じがした。
前を向いて、時代がこううごくと見極めて、
自分はこの道を選んで歩こうとはならない。いつも後ろ向きで、
まわりのものに流されるしかない。
それじゃあ一体どうしたら前を向けるのか。
主体性、自分の実感に基づく主体力みたいなものは
一体どうやったら持てるんだろうか。
こういう思いがとても強かった」
後ろ向きに歴史の中に入っていく、
読めば、また直接うかがったこともありましたから、
なるほどそうか、ふんふん、
と、その時は納得したつもりでした。
ただ、竹内さんはすぐれて感覚の人でもありましたから、
納得したつもりになっても、
つもりはあくまでつもりで、
ほんとうの理解に至っているかどうかは分からない。
油断ができません。
後ろ向きに歴史の中に入っていく、
どういうこと、
どういう事態なのだろうとずっと思ってきました。
前置きが長くなりました。
二〇一一年三月十一日、東日本大震災が起き、
その後、多くの本が刊行されるなか、
畠山直哉さんの写真集『気仙川』の写真と文章を、
とくに最後の「あとがきにかえて」を読み、
ハッとさせられました。
また少し長くなりますが、引用いたします。
「出来事としての東日本大震災の後では、
今この世にいる人間すべてが
「生存者(サヴァイヴァー)」であるように僕には見える。
生存者同士の間では「前を向こう」と励まし合い、
お互いに手を差しのべながら歩く、
そんな温かさが何よりも大事であることは言うまでもないけれど、
僕にはこの「前を向く」ことがなかなか難しい。
東京にいる時はほとんど暗室で、
ネガを探してはプリントを焼くという時間を過ごしている僕は、
自分の過去とつきあう時間が圧倒的に多く、
人といっしょに歩く時でも、
言ってみれば僕だけが「後ろを向いたまま」後ずさりするように
歩いているような気になる。
背後からやってくる未来に、背中の神経を集中させながらも、
僕は来し方が遠く小さくなってゆく光景から目を話すことができない。
誰かに「前を向いた方がいい」と言われても、
その度に僕はたぶん
「もう少しだけこのまま後ろ向きに歩かせて下さい」とことわり続けるだろう」
「後ろ向きに」という竹内さんのことばが、
はじめて感覚的に分かった気がした。
後ろ向きということは、
背後から次つぎにやってくる未来、言葉たちに
信が置けないということでもあろう。
これから、前を向くのになにが要るのか、
自分で感じわけ、考えながら、
竹内さんのことばを再度吟味することも大事かと思われます。
『待つしかない、か。』は長く品切れ状態でしたが、
弊社十五周年にあたる今年、
装いも新たに『新版 待つしかない、か。』
として刊行する予定です。

・花びらが歩に沿ひ來る桜かな  野衾