ファーブルとパストゥール

 

・春近し馬の背から湯気の立つ

これだから本を読むのを止められない。
岩波文庫版『ファーブル昆虫記』第九巻、
こんな文章に出くわした。
「知らないということには、よいことのあるものだ。
踏みならされた道をずっとはなれて、新しい道がみつかるものだ。
わが国の有名な先輩の一人は、
自身ではどんな訓えを私に授けたか、夢にも知らずに、
このことを教えてくれた。
ある日、前触れもなくパストゥールが家のベルを押していた。」
パストゥールは、フランスの著名な生化学者、細菌学者。
かつて教科書で習い、
名前ぐらいは知っていた歴史上の人物が、
不意に現れ本のなかで息づいている…。
パストゥールが
ファーブルの住むアヴィニョン地方の視察に来たのは、
養蚕のためだった。
数年来、
土地の養蚕家は得体の知れぬ厄病の被害を受け困窮していた。
その後、パストゥールは、
養蚕業の害敵である微粒子病、軟化病が
微生物の寄生によるものであることを証明し
予防策まで確立することになるが、
ファーブルを訪ねたときに、
なんと蚕のまゆを知らなかった!
「まゆを見せて貰えませんか。まだ一度も見たことがないのでね。
名前を知っているだけで」とパストゥール。
「お安い御用ですよ」と言って、
ファーブルは彼にまゆを見せる。
それを受け取ったパストゥールは、
珍しそうにまゆを調べている。
耳元で振ってみたり。
カタカタ音がするのに驚いてファーブルにそのことを尋ねる。
パストゥールは、
幼虫がまゆのなかで蛹になり、
変態して蛾になることをこの時点では全く知らない。
そのことを知って驚くファーブルの驚きが、
読んでいるこちらにまで伝わってくる
なんとも愉快な対話がつづく。
ファーブルの驚きを通して
ファーブルがようやく身近に感じられる。
これもまた読書の醍醐味といえるだろう。

・梅が香や詩よりも田をと父が云ふ  野衾