立ち納豆?

 

・雪降るや時を重ねて奔りけり

通勤時、
江戸文化研究者にして
今年四月から法政大学総長に就任予定の
田中優子さんも通ったという
本町小学校の
目の前にあるコンビニ(修飾句が長い!)
に、
よく寄るのですが、
いつものように
野菜ジュースを買うべく向かっていたところ、
店の前で金髪の大柄な女性が
両肘を挙げてなにやら一心不乱の様子。
スキー場で見るような
派手な防寒具に身を包み。
引かれるようにして彼女に近づき
脇を通りがかりざま、
ふと見ると、
納豆。
このオンナってば、
納豆を立って食べている!
一口食べては、
またグワ~ッと割り箸でかき混ぜかき混ぜ。
フランス人?
オランダ人?
アメリカ人?
それはともかく、
納豆を立って食べる外国人女性を
初めてナマで見た。
わたしが呆然と見ていることに気づいたのか、
納豆のパックに顔を近づけたまま、
わたしに対しニコッ!
納豆を立ち食いする金髪女性にほほ笑まれてもなぁと
一瞬思いましたが、
寛容なこころで、
わたしも負けじとほほ笑み返し。
目礼して彼女と別れ、
コンビニに入り
買うべきものを買いました。
Tカードを渡し、
ポイントを貯め、
スイカで料金を払います。
便利になったものです。
外へ出ると、
納豆の彼女の姿は見えず。
食べ終えたのかな。
田中優子さんも通ったという(またぁ!?)
本町小学校の横をゆっくり歩き、
左に折れ曲がろうとして、
なんとなく後ろを振り向くや、
なんとさっきの金髪女性、
大股で歩きながら、
またまた一心不乱に
なにか食べているではないか。
納豆でなく、
今度は
どうやらおでん。
湯気を辺りに撒き散らし、
蒸気機関車のごとく歩いてゆく。
どんだけ立ち食いが好きなんだ。
でも許す。
おかげで、
のびのびした気分になれたよ。

・小学生初めての白アノラック  野衾

ねじれ

 

・脱衣場時を争ふ寒さかな

鍼灸の先生いわく、
「机に向かって同じ姿勢になっていませんか?」
キーボードに向かい、
右の片手で入力することからはじめ、
紙に手書きで書くときも、
ぼんやり考え事をするときも、
だいたいわたしは
左半身を
後ろに引いた構えをとることが多い。
机にまっすぐに向かうと
頭がロックし、
思考が停止してしまう、
気がする。
気がするだけかもしれませんが。
でも、
どうもそれがよくないらしい。
同じ姿勢を
ふだんとり続けていると、
それがいつの間にか癖になり、
長年のうちにねじれを生じさせる。
右腕の五十肩と
左脇腹の筋に時々走る鋭い痛みは、
そのことによって起きる云々。
「今日からキーボード入力を両手で行ってください」
「できません」
「それなら、体を反対にねじる運動を時々行ってください」
「はい」
この日記も、
右手だけで打っています。

・寒き日や漫画開くも笑はざり  野衾

全部は出せない

 

・休日の社の気ひんやり黙しけり

いましろたかしの漫画
『初期のいましろたかし』(小学館)
をおもしろく読んでいます。
「ハーツ&マインズ」「ライトスタッフ」
なんかが入っています。
身につまされたり、
どうしようもなかった
あまり戻りたくない青春時代
を思い出したり。
涙の一寸前まで行く感じ。
突然ですが、
ふと思いました。
人前で、
全部を出すことなんて
できるのかなと。
全部は出せないから、
いろんなひとと付き合うのかな。
全部出せたら、
そのひととだけでいんじゃないのか。
だけど全部は出せない。
神さま仏様の前でだって。
出したら、
きっと馬鹿にされる呆れられる。
嫌になるなたぶん。
全部出せたら、
どんなにいいだろう。
ひょっとして、
温泉に浸かっているようなきぶんかな。
もっとかな。
あのう、
突然ですが、
ここで一つ、
ギャグ漫画を思いつきました。
冴えない男が、
あるいはカッコつけた男が、
好きな彼女に向って、
「君の前でなら、僕の全部を出せるような気がする」と言う。
すると彼女、
「全部は出さないで」と言う。
あはははは…
自分でウケる。
あはははは…

・ふわ~りふわ予兆余白の雪が降る  野衾

本を捨てる

 

・降るといふ雪降らずして帰宅かな

数年前、
相当の数の本を古書店に売ったとき、
紙ゴミとして
捨てたものもかなりありました。
そのなかに、
大月書店からでていた
マルクスの『資本論』全五巻もありました。
大学時代、
自主ゼミナールをつくり、
そこでも読んでいたもので、
赤と青の鉛筆で
線がいっぱい引いてあり、
古書店にだすことをはばかられました。
『資本論』を捨てたとき、
こころの糸がぷつんと切れたようで、
それが一つの基準となり、
あれもこれも
捨てる側にまわった。
『資本論』を通読するのにだいぶ苦労した、
その時間まで捨てた気がして、
勢いづいたのでした。
あれはあれでよかったと思いますが、
そんなに気合いを入れてまで
捨てることもないなと、
このごろは考えを改め、
読んだ本を宅急便で
せっせと秋田の実家へ送っています。
送った本のうち、
再読三読にまわる本が
これからの人生で
どれぐらいあるかといえば、
心許ないわけですが、
そこは、
あまり合理的に考えなくていいか
とも思っています。
本はいろいろな意味で、
合理では片付けられない代表のようなもの、
かもしれません。
これも大学時代の話ですが、
ある先輩が
ある席で、
聖書を焼いたらどうなる、
と言ったことがありました。
問いはおぼえていますが、
先輩が
そのあとどう言ったかまでは憶えていない。
聖書を焼いたら…、
たぶん、
いやきっと、
灰になるだけで
ほかに何も起こらないだろう。
罰が当たることも、
おそらくない。
罰が当たったら、
こわい!
しかし、
本を焼く者は
やがて人間も焼くようになる、
というハイネの言葉もあります。
本はまた、
たしかに時の
玉手箱のようなものですから、
焼くに焼けない、
なかなか捨てるに捨てられない。
やはり、
実家に送り届けるのが無難なようです。

・鰭酒や注ぎ酒までの時を飲む  野衾

本は儲からない

 

・面接を終へてベランダ冬の月

映画『世界一美しい本を作る男 シュタイデルとの旅』
を観ました。
我が意を得たりの部分あり、
ちょっと違うかなの部分あり、
それはともかく、
ふだんの仕事を振り返り、
反省する機会になりました。
「本は儲からない」は深く同感。
インクの匂い、
紙の手ざわり感、
ページをめくる音を含めて本なのだ、
はまったく同感。
違和感についてはただいま反芻中。
三月一日から、
中区若葉町にある映画館
ジャック&ベティにて、
『世界一~』が上映されます。
初日の上映が終った後で、
トークイベントが企画されており、
そこでわたしがしゃべることになっています。
聞き手がいてのトークですから、
訊かれたことについて
割と正直にしゃべろうと思います。
月が変ったら、
くわしくご案内します。
お近くの方はどうぞいらしてください。
ところで、
シュタイデルさん。
だれかに似ているだれかに似ている、
だれだっけだれだっけ
だれだっけーーー、
と、
そのことに
意識が向ってしまい、
映画鑑賞中、
集中がだいぶ殺がれてしまったわけですが、
そのときは思いつかず、
いま、
ハッと思い当たりました。
「愛染かつら」の霧島昇だあああ!!
まじめそうなたたずまい、
それと、
空を飛んでゆく雁のようなあの唇。
ああすっきり。

・鰭酒や幼きころの血の香り  野衾

メンターム

 

・熱燗やこころ窄めて猪口となる

顔や体にいろいろなものを塗ってきましたが、
用途に応じ今も塗ったりしますが、
総じて塗らなくなり、
必要な折は、
だいたいメンターム一つで済ませています。
箱に「生活常備薬」とあります。
まさしく。
だって効能・効果は、
すり傷、やけど、しもやけ、虫さされ、そり傷、切傷、打撲傷、神経痛、かゆみ、靴ずれ、ひび、あかぎれ、筋肉ロイマチス、皮膚炎症。
ほとんど、
だいたい、
なんにでも効く。
製造販売元は近江兄弟社。
滋賀県近江八幡市にある会社です。
最初はメンソレータムを売っていたのだとか。
兄弟社となってはいても、
べつに
兄弟で経営しているわけでなく、
「人類皆兄弟」の兄弟から、
とウィキペディアにあります。
キリスト教精神にのっとっていたのですね。

・鰭酒や憂きことしばし揺れてゐし  野衾

中原中也

 

・猫が來てアイコンタクトぷいと去る

佐々木幹郎さんの『中原中也』(筑摩書房)を
気になりながら、
まだ読んでいませんでしたので、
鏡花本を中断し、
連休初日一気に読了。
おもしろかったー!
佐々木さんの本は、
詩集はまた別ですが、
評論は、
難しいことを
やさしく分かりやすく
手ほどきしてくれるので、
未知の世界に乗り出すときに
とても気持ちよく、
また助かります。
口調を思い出しながら
というよりも、
佐々木さんの本は、
読んでいて、
つい、
声が聴こえてくるようなのです。
中也の詩を
「子守歌的なるもの」という視点から捉えること、
子守歌を歌い子をあやすとき、
子供の心を安定させるために
むしろ一定のリズムで揺り動かすこと、
「子守歌」の歌詞の中に
「天人女房譚」の物語が埋まっていることが
やわらかく説得的に解きほぐされ、
ゆえに深く了解され、
そうして
ゆあーん ゆよーん
天からのブランコが
大きく大きく見えた気がしました、
首をかたむけ。
天人女房、
天人女人。
気になっていた本でしたから、
スッキリしました。
どうしてこのタイミングだったかといえば、
この本を書いたときの佐々木さんの
声を聴いてみたかったから。

・映画浸け年の初めの三連休  野衾