父との会話

 

・秋深し沈黙の空明けにけり

「もーしー。おみゃ、25、誕生日だったべ」
「んだ」
「んだべ。25がおみゃ、26がおやじ、28がしゅん」
25日がわたしの、
26日が九十八歳で他界した祖父の、
28日が甥っ子の誕生日。
父はそのことを電話で言ったのでした。
「わすいであったよ。ゴメンな」
「ええって。ええって」
「25になったったが?」
「25でにゃ。ごじゅうろぐだ」
「あ、んだが。ごじゅうろぐが」
「あや」
あや、とは「そうだ」の意。
「ごじゅうごだべ?」
「んでにゃて。ごじゅうろぐだて」
んでにゃ、は「そうでない」の意。
「んだが。にじゅうごにぢでごじゅうろぐが」
「あや。にじゅうごにぢでごじゅうろぐだて」
「んだべ」
んだべ、は「そうだろ」の意。
「んだべって。おみゃが、ごじゅうごってまぢがったんだべ」
「んだてが」
「んだよ」
秋田県以外の方には、
ほとんど外国語のように思えるかもしれませんが、
十一月のこの時期、
誕生日が立て込み、
25日がわたし、
26日が祖父、
28日が甥っ子。
しかも、
25日にわたしは
55歳から56歳になるというわけで、
5と6が
日にちと歳で錯綜し、
なんだかややこしい。
わたしだって数字を間違える今日このごろ、
八十を過ぎた父が間違えるのは当然。
ええって。ええって。
ちなみに
「ええって。ええって」は、
いいよ、いいよ。

・紙敷いて窓下寝釈迦の小春かな  野衾