そんなに読まなくても

 

・秋深し自家灸(やいと)の痛さかな

新井奥邃(あらい おうすい)を読んでいると、
聖書を読みなさいということが
ときどきでてきます。
聖書は、
聖霊のはたらきによって
書かれたものであるけれど、
書いたのは人間だから、
すべて正しいというわけにはいかない。
パウロが言ったから信じたのではない。
神の子、真人イエス・キリストが言ったから信じたのだと
奥邃は記しています。
迫力に圧倒されてしまいそうになります。
奥邃は、
日本に現れた預言者ではなかったでしょうか。
この世に生まれるとき、
わたしたちは、
何も知らない赤ん坊だったのに、
言葉をおぼえ
知識を増し、
人をだましたり
傷つけたりして、
いつしか驕り高ぶって、
あたかも自分が
大したものであるかのごとく錯覚し、
死ぬときは
きっと
何も知らない赤ん坊に戻って
死んでゆく。
生きているときも、
驕りを捨て慾を殺し
謙を学ぶ路に履み出さなければと、
奥邃を読むたび、
そんな気持ちにさせられます。
そうすると、
そんなに多くの本を
読まなくてもいいのでは、
という気持ちにもなってきます。
聖書は仕事師の手帳であるとも奥邃は言っています。

・灸据ゑて眠つた夜の夢哀し  野衾