・柿赤し手にたつぷりの重さかな

出版社でよかったと思うことの一つに、
ラフな格好でもよいことがあげられます。
着るものもそうですが、
履くものも。
このごろは
もっぱらワークブーツを履いて出社。
また、
今年の社員旅行では、
金沢文庫から天園をぬけ北鎌倉へ、
昼食をとりさらに長谷まで歩きました。
社員旅行で十六キロも歩くのは異例だと思いますが、
なんでそんなことになったかと言えば、
いくつか
わたしなりに理由はありますが、
このごろの靴愛好家としての虫が疼いたことも
その一つだったことは否めません。
靴を磨いていると、
これ履いてつぎどこ行こうかな
と、
いろいろ想像がふくらみます。
それも楽しい。
社長の趣味に付き合わされる社員が気の毒
とのご意見もありそうですが、
無視(笑)
さて来年はどちら方面を歩くかな、
なんて。

・身不知と富有と並ぶ函の柿  野衾

机上

 

・遠くより柿の届きていただきぬ

整理整頓と子どものころから言われてきましたが、
それほど得意なわけではなく、
右のものを左へ、
左のものを右へ
移動させて済ませています。
移動させているうちに、
もはや必要のないものが混じっていることに気づき、
その場合はポイと捨て。
いつの頃からか、
仕事を終えて退社するとき、
机の上を片付け、
書類は耳をそろえトントンと重ねて置き、
机上をティッシュで拭くようになりました。
手の油脂分がけっこう残っていたりするのですね。
こうすると、
その日一日の仕事のはかどりを
意識せずとも反省させられ、
また、
翌日仕事に向かうときの気持ちがちがいます。
いわば初期化された状態で仕事に向かえる。
高校の教師をしていたとき、
先輩のK先生の机の上はいつもきれいでした。
教師の机の上というのは
あまり整理がゆきとどかず、
物であふれているのがふつう。
ところが、
K先生の机の上だけは
いつもきれいに整理され、
職員室の広い空間の中で
そこだけシーンと静まり。
いわば静謐の気に充たされていた。
何度も目にしました。
やがてK先生は定年前に職場を辞され、
独学で習得した韓国語を生かし、
かの地の大学院へ入学し、
そこで韓国の仏教を学び、
韓国仏教の古典中の古典・
釈譜詳節の日本語訳を完成させました。
K先生は、
河瀬幸夫先生です。

・とうろりと身不知柿の甘さかな  野衾

 

・ゆらゆらとひむがしに日の昇りをり

夜中眼が覚め
寝返り打って眠られず
そのまま起きだし
ふらりと外へ
そうしたら
中天に
ポッカリ月が出ておりまして
青々と
暈(かさ)までかかり
水平に
首をなるだけ折り曲げ
お月さま
なんと明るい
なんとまあるい
うさぎがぴよんと
飛び出して来むかしら
車のおとがゴーッとして
ここは二十一世紀地球表面なれば
ものみな寝静まるころ
麦茶でも買って帰ろうか
それとも

・暖停めて日に四度の湯舟かな  野衾

I部長

 

・初雪や天蓋からの贈り物

昨日、
専務イシバシは
都内のある大学へ営業に出かけましたが、
そこで偶然I部長に会ったと、
帰社後報告を受けました。
I部長とは前の会社でいっしょでしたが、
倒産後どうしたかを知らぬまま十五年が経ちました。
I部長は以前、
本の訪問販売会社にいた人で、
前の会社の社長とどこかで知り合い、
乞われて会社に入ってきた人でした。
社長の感化によってか、
すぐに遊び人風のスタイルを身につけましたが、
本来は謹厳実直なひとではなかったかと思います。
あるとき、
よく行くスナックで、
供された皿の中にピスタチオが入っていました。
今でこそ珍しくないピスタチオですが、
あのころは
割と珍しかったと思います。
I部長、
ピスタチオを口中にポイと入れ、
ガリガリガリガリガリガリと。
社長、大笑い。
「お、おまえ!」
「はい?」とI部長。
「か、殻を外して食べるもんだぞ!」
「あ。どうりで」
「バカモノ! あはははは…」
I部長はわたしより十五歳くらい上で、
二人で飲む機会もたまにありました。
誘われて、
一度だけご自宅にお邪魔したこともあります。
小さな一戸建ての家で、
一歩家の中に入るや、
つましい生活ぶりが身に沁みました。
奥様にあいさつし、
和室に通されたあと、
テーブルの上に鮨の桶がでてきました。
わたしの好物が鮨であることをI部長知っていたのでしょう。
四人前ぐらいの桶だったと思います。
ビールで乾杯し、
それから日本酒に変え、
よもやま話に興じたのですが、
わたしは、ふと、
あることに気づきました。
I部長は、
鮨にほとんど手をつけていません。
申し訳ない気がして、
わたしもつい手を伸ばすスピードが落ちましたが、
そうするとすかさず、
「みうらちゃん、どうしたの。食べてよ。
せっかく取ったんだから…」
そう言われても。
そう言われると、
なかなか食べれませんでしたが、
でも結局、
ちゃんと食べました満腹になるほど。
さて昨日のこと。
イシバシの話によれば、
I部長、
今は年金暮らしだとのことですが、
相変わらず
何社かのシリーズものを一手に引き受け、
パンフレットを持ち歩いては
本を売っているそうです。
耳が少し遠くなったふうだったと。
家のローンは完済したのだとか。
お嬢さんが一人いて、
ずいぶん可愛がっていましたが、
どうしたでしょう。

・孫の手で背中掻きをり冬日かな  野衾

朝の声

 

・初雪を告げて明るき父の声

だんだん朝が早くなり、
このごろは
三時に起きだすことも珍しくないのですが、
これぐらいの寒さなら、
きりりと寒くて気持ちいい

やせ我慢でなく言い切れます。
この日記を書き、
終えたら
サイフォンでコーヒーを淹れ、
コーヒーカップを
本棚下から三段目
向かって左端の隅に置き、
それから
腰に毛布を巻き
アームチェアにでんと胡坐をかいて本を読む。
五時。
空気の音まで聴こえてきそう。
六時。
不意にちょっと目を上げ。
家人そろそろ起きてくるかな。
七時。
トイレに用足しに。
戻ってふたたび腰に毛布を巻き
アームチェ…
「いってきまーす!」
タタタタタタタタ……
何年生でしょうか。
少年の姿を見たことがありません。
窓の外から声だけが聞こえ。
なんとも元気がいい。
「いってきまーす!」
を言ってから、
下り坂を必ず走って下りていく。
タタタタタタタタ……
路にリベットを打ち込むように。
タタタタタタタタ……
寸分の狂いもなし。
今日も一日が始まります。

・朝三時蓑虫のごと読書かな  野衾

そんなに読まなくても

 

・秋深し自家灸(やいと)の痛さかな

新井奥邃(あらい おうすい)を読んでいると、
聖書を読みなさいということが
ときどきでてきます。
聖書は、
聖霊のはたらきによって
書かれたものであるけれど、
書いたのは人間だから、
すべて正しいというわけにはいかない。
パウロが言ったから信じたのではない。
神の子、真人イエス・キリストが言ったから信じたのだと
奥邃は記しています。
迫力に圧倒されてしまいそうになります。
奥邃は、
日本に現れた預言者ではなかったでしょうか。
この世に生まれるとき、
わたしたちは、
何も知らない赤ん坊だったのに、
言葉をおぼえ
知識を増し、
人をだましたり
傷つけたりして、
いつしか驕り高ぶって、
あたかも自分が
大したものであるかのごとく錯覚し、
死ぬときは
きっと
何も知らない赤ん坊に戻って
死んでゆく。
生きているときも、
驕りを捨て慾を殺し
謙を学ぶ路に履み出さなければと、
奥邃を読むたび、
そんな気持ちにさせられます。
そうすると、
そんなに多くの本を
読まなくてもいいのでは、
という気持ちにもなってきます。
聖書は仕事師の手帳であるとも奥邃は言っています。

・灸据ゑて眠つた夜の夢哀し  野衾

一番!

 

・はらはらと越さず遅れず落葉かな

休日、
このごろよく行く
保土ヶ谷橋交差点川辺酒店に隣接する建物の二階、
「ヘアーサロン純」へ行ってきました。
そうですよ。
ヘアーサロンで坊主刈り。
はい。
外に掲げている看板には、
午前九時~
となっていますが、
八時半目指して向かったところ、
交差点の信号が青に変り、
小走りで横断歩道を駆け抜け、
階段を見上げたちょうどそのとき、
赤、白、青のサインポールがくるくると回りだしました。
よーし!
階段を上りきりドアを開ける。
だーれもいない。
でかい声で、
「おっはよーございまーす!」
「はーい」
と奥からご主人の声。
やったー! 一番!
八時半目指してきたのには、
理由がありました。
前回、
帰宅途中に寄ったときのことでした。
ソファに腰掛け順番待ちをしていたとき、
ドアが開き、
中年の男性が老人を伴い部屋へ半分ほど入りました。
老人は父者なのでしょう。
わたしの他にも客が数名待っていたので、
時間がかかると思ったのでしょう。
「明日、出直します」
ご主人、間髪入れずに、
「ごめんなさい。明日の朝いらっしゃいますか。
それなら八時半からでもいいですよ」
その言葉が
わたしの耳の奥深くに刻まれました。
だから八時半。
そんで
一番になったというわけです。

・侘しさや落ち葉の下の物語  野衾

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