いのちの思想家

 

・奥邃や吾人の平生糠に釘

朝、
少しずつ新井奥邃著作集を読んでいますが、
難しい漢字や熟語がいっぱい出てきて
漢和辞典を手放せないわけですが、
めんどうくさいと
ちょっぴり思いながらも、
嶮しくもたのしい勉強です。
高校入学と同時に買った
角川漢和中辞典では間に合わず、
白川静の字通をもとめ、
五十肩を気にしつつ、
本棚から引っ張り出しては
あぐらの上に置き、
しょっちゅう開いています。
漢和辞典の二刀流。
奥邃の文を読んでいると、
ほかの多くの本が遊びの本として遠ざかる。
遊びが悪いわけでなく、
弱いわけでないけれど…。
なぜ本を読むのか。
なぜ勉強するのか。
有神無我を勉強するため
と奥邃は喝破します。
いくつかのキーワードがあるなかで、
「謙」はもっとも大事なものでしょう。
謙虚の謙、
へりくだり。
これがいちばん難しい。
慾を去り
怒りを除くことが
人間最大の問題であり、
有神無我による謙無くして
なんの益することがあるでしょう。

字が
からだの深くに飛び込んでくるようです。
学問でなく勉強。
一生勉強。
なんの?
謙の。
今年の新井奥邃先生記念会に
初めて参加された方が二人おられました。
奥邃と親交のあった中村千代松の
ひ孫さん、
原田嘉次郎の
お孫さん。
お二人としばし時間を共にし、
お二人の立ち居に接し、
謙の深さと大きさに慄きました。
奥邃の謙は
スローガンでなく
旗幟でなく、
生きてはたらくいのち
そのもの。
一生が勉強と思いました。

・微妙の戸一息開けて微妙なり  野衾