眼が覚めたので

 

・透き通る完熟柿の甘さかな

ただいま二時を少し回ったところ。
これからそろそろ床につく人もいるでしょう。
さっき眼が覚め
トイレで用を足したら、
割と頭が冴えていたので、
そのまま一旦起きだしてはみたものの、
一旦の旦の字は、朝の意。
どこかの細胞が
まだ眠っているらしく、
ということは、
どこかの細胞だけが
サッと開いて急速に回転を始めたようで、
なんだかやっぱりどこか変。
我が身であって我が身にあらず。
ぼうっとしたまま
自動機械のごとくキーボードを叩いているが。
さて今日も来客の予定。
あったかなかったか。
あった、たしか。
コーヒーを淹れて、
それから奥邃(おうすい)は
「難録」
録するに困難な文字たち。
無我と謙の勉強に果ては無い。

・干し柿の餅のやうなる白さかな  野衾

黒にんにく

 

・秋澄むや静黙の中こゑのせり

先日、
神奈川近代文学館で泉鏡花展を観ての帰り、
元町の裏通りを歩いていたら、
岩手県のアンテナショップがあり、
おもしろそうなので入ってみました。
どこから見てもふつうのにんにくなのに、
黒にんにくと書いてあり、
以前食べて美味しかったので、
ひとパック購入。
が、
ぱくぱく食べるものでなし、
食卓に置いたまま
いつしか風景と化し、
あ、
黒にんにく。
忘れてた。
もう乾いちゃったかな。
と思いきや、
豈図らん
買ってからずいぶん経っているのに、
栗ならとっくに
石化していておかしくないのに、
さすがにんにく、黒にんにく。
とってもジューシー。
しかも美味しい。
なおかつ
次の日なんだか元気。
というわけで、
さらにネットで注文。
アンテナショップで買ったものは
茎付きでちょっと食べにくかったので、
一個一個ばらしてあるのにしてみました。

・光り受く開新俟ちて務むべし  野衾

毛布

 

・竜なれど馬曳く車竜曳けず

やっと秋らしくひんやりとしてきました。
ただいまの室温二十一度。
こうでなくっちゃ。
この日記を書き終え、
淹れたてのコーヒーを啜りながら
本を読んでいると、
いつしか、
ひんやりが骨の髄まで沁みてきて、
おお、さむさむ。
昨日初めて毛布を出しました。
毛布を腰に巻きつけ
椅子の上にでんと胡坐をかきます。
右手に字通、
左手に角川漢和中辞典。
これで万事OK!
眠くなったら朝風呂に浸かる。
ああ極楽極楽。
世の煩わしさをしばし忘れて、
と言いたいところですが、
それはどうやら叶いません。
さて、
新井奥邃著作集第七巻。
奥邃(おうすい)の人生は晩年を迎えます。

・朝寒や函を破りて辞書の在り  野衾

靴修理

 

・鰯雲除慾殺怒の光り有り

ちょっと大げさですが、
這い這いから立ち上がり、
二足歩行をするようになってから
いったい靴を何足履きつぶしてきたでしょう。
百足には満たないと思うのですが。
けっこうな数だと思います。
子どものころは、
破けたり
サイズが合わなくなると
新しいものを買ってもらえるので、
古くなったものはとっとと捨て、
それをとくになんとも思いませんでしたが、
大人になってからは
捨てるのがもったいなくなりました。
が、
やっぱり捨てていました。
靴を修理して履くという発想が
そもそもありませんでした。
革が柔らかくなり、
やっと足になじんできて、
いい感じになったなぁと思ったのも束の間、
ひょいと裏返すや
靴底が激しくダメージを受け、
いかにもダメだろうと観念し諦め、
ゴミとして捨てることに。
それが何をきっかけに、
いつからだったのか
定かに思い出せないのですけれど、
このごろは
気に入った靴は
修理をして履くようにしています。
それをしてくれる店の看板をときどき目にします。
きのうは二足、
土踏まずを除き、
ソールを全部
張り替えてもらってきました。
一足四千五百円。
二足で九千円。
二足とも気に入っている靴なので、
大満足。
これでまたしばらくもつはず。

・天高く無物の風の吹き抜けり  野衾

日用の糧

 

・慾去りてこころ楽しも秋の風

聖書「マタイによる福音書」六章には、
祈るときにはこう祈りなさいと
イエス・キリストが言った
いわゆる「主の祈り」についての記述があります。
そのなかに、
「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」
という文句があり、
初めて聖書を読んで以来今日まで、
日用の糧とは、
日々口にする食べ物、飲み物
のことだと思ってきました。
それはまちがってないでしょう。
食べずに飲まずに
生きていくことはできませんから。
でも
それだけではないようです。
朝、奥邃(おうすい)を読んでいると、
(朝でないと奥邃の文は分からない気がします)
身が引き締まり、
こころが洗われていくようで、
すっきりとし、
またふつふつと
元気がもどってき、
息が深くなる。
日用の糧。
口にするのは、
食べ物や飲み物だけでなく。
それをいただいて日を暮らす。
その意味で奥邃は
わたしにとって格別です。

・天高し淡きこころの有難し  野衾

習うより

 

・朝寒や旧きパソコンがなりけり

朝、コーヒーを淹れて飲むのが楽しみですが、
挽きたての豆の皮を飛ばすことにより
コーヒーの味がいっそう
引き立つことを知ってからというもの、
せっせせっせ、
挽いたばかりの豆に
ふっ、ふっと息を吹きかけては、
皮を飛ばすようにしています。
外はまだ薄暗く、
部屋から洩れる明かりをたよりに、
ベランダに出てひっそりやっていたのですが、
先週からとみに寒くなり、
厚着してまで外に出るのもいかがかと、
このごろは台所のシンクに向かい、
ふっ、ふっ、ふっ。
始めたころは、
コーヒーの
実まで勢いよく吹き飛ばし、
実も蓋も、
ではなく、
実も皮も
減量させてしまうことも間々ありましたが、
習うより慣れろ
の言葉どおり、
皮だけふっと飛ばすことを
ようやく覚えました。
息の強さと距離が大事。
大きい皮を飛ばすには
割と強めに、ふっ。
小さい細切れの皮を飛ばすには
近づいて
息を殺してやさしく、ふーー。
んー、職人技。
一人合点。
さあて、
今日も美味しいコーヒー飲んでがんばるぞ。

・ひと恋し怒りに火灯す得意技  野衾

死んでも勉強

 

・焼き利かせ干物置きたる夕餉かな

男なら溝の中でも前のめりで死ねと
幕末の志士が言ったか
言わなかったか。
小説のことは
ひとまず措いといて、
奥邃(おうすい)の文を読んでいると、
生きているときに勉強するのは
あたりまえ、
それだけだけでは足りず、
死んでも勉強はつづくのだ
という気になり、
それは諦めどころか、
大いなる希望でなければなりません。
死んでも勉強がつづく
ということは、
そこで終り
ではなく、
死んでも死なず、
霊体となり
永久にひたすら
真人を目指して勉強するということ。
奥邃を最後までお世話した
秋田出身の中村千代松さんが
死を目前にした床でも
奥邃の文を読んでいたのは、
そのことを思って
のことではなかったかと想像します。

写真は、スライスくん提供。

・手を繋ぎ疲と怒と来たる秋の暮れ  野衾