桑名といえば

 

・弥次喜多や水鳥交して長良川

桑名といえば焼き蛤。
その手は桑名の焼き蛤ていう。
泉鏡花ゆかりの桑名を
家人と義母、
家人の妹、
姪っ子二人もまじえ訪ねることになり、
しばらく前から
計画を立てていたところ、
高蔵寺在住の義母が
何気なくファイルを整理しているうちに
桑名にある
とある料理店の新聞切り抜きを発見。
ハッと驚いて見たところ、
先年他界した義父が友人と訪れ
舌鼓を打ち、
いずれ義母を誘って再訪しようとのこころから
パンフレットと切り抜きを
取っておいたもののようです。
今回訪れたのはその魚重楼。
そういえば生前義父が、
その手は桑名の焼き蛤と口にし
自ら破顔一笑していたのをよく覚えています。
此度も差し向かいに義父がいて、
その手は桑名と笑っている。
台風接近で大荒れの外を閉ざし、
室内には団欒の気が充ちておりました。

・樹は千年石は万年野分かな  野衾

桑名

 

・追ひかけて牙剥く波の白さかな

泉鏡花ゆかりの舟津屋を訪ねましたが、
結婚式の予約が入っているとかで、
中までは見せてもらえませんでした。
が、
美人の店の方が立ち話ながら
ていねいに説明してくださり、
鏡花ファンとしては、
へえここがねぇ。
と思って見たれば、
たしかになんだか風情があり、
万太郎直筆のかすれ文字の石碑もそれなり。
舟津屋は、
鏡花『歌行灯』中、湊屋の名前で登場します。
むかしは大塚本陣跡だったそうです。
そう聞けば、
弥次喜多さんがしのばれて。
お釈迦さんのことなら
ルンビニ、ブッダガヤ、サールナート、クシナガラでしょうけれど。
弥次喜多さんなら桑名を絶対外せない。
どっこいその手は桑名のと。
台風接近で波が三角立ち、
四角な裏庭から船出したものらしい
いにしへの人の心を重ねたり。
河岸を変え、
蛤料理の魚重楼へ。
こちらも創業は明治に遡る。
焼き蛤を供してくれた姐さんの
腰の張りへ目が行ったのは
弥次喜多の霊の仕業か。
いやこれは
こちらの単なる助平ごころのなせる業。
どうやらちと酔ひも回つてきたぜい。

・秋連れて東海道を北上す  野衾

カピ子

 

・秋風や実業あるを楽しめり

NHKのアナウンサー守本奈実さんの愛称はカピ子。
カピバラに顔が似ているからだとか。
そう思って見ると、
ふむ。
似てないこともないか。
わたしは勝手に奈実ちゃんと呼んでいて、
「首都圏ニュース845」今週は奈実ちゃん担当です。
奈実ちゃん、
写真週刊誌フライデーに熱愛報道されたようです。
相手はNHKのディレクターだとか。
熱愛報道されたのに、
大騒ぎされることなく、
「カピ子も恋愛するのか」とか、
「カピ子も年ごろだからそっと見守ってやろうよ」とか、
周囲から割と好意的に見られているようです。
そのせいか分かりませんが、
画面で見る奈実ちゃん、
なんだか今週うれしそう。
お!
原稿に目を落としたとき、
たしかにカピバラさんに見えた!
それから、
奈実ちゃんのまばたきは、ゆっくりだ。
これはわたしの発見。

・虚無でなく実有ありと虫の鳴く  野衾

ラッキー!

 

・光瀾に洗ひ流さる秋となる

信号が青に変ったのに、
ふと思い立ち
横断歩道を渡らずに、
回れ右して建物の階段を上りました。
このとき午後六時四二分。
階段を上りきり、
恐る恐るドアを開けたら、
いつものソファに客がが一人もいない。
ラッキー!
ドアを大きく開け一歩中へはいると、
リクライニング状態の客が一人、
顔を剃られてあと数分でおしまいのようでした。
ラッキー!
愚痴をこぼしたくなることもありましたから、
ラッキーが続くことはうれしく、
厄落としになります。
前の人が代金を払って退室。
「どうぞー」
「はい。いつものようにカットだけお願いします」
「はい。わかりました」
……………
「はーい。お疲れ様でしたー」
一二〇〇円を払ってドアを開け階段を下り、
さっきの交差点に向かいます。
信号はまだ青にならず。
このとき午後六時五八分四〇秒。

・良寛の筆空中に秋の風  野衾

登利平のお弁当

 

・秋なのに狂つた空の暑さかな

佐々木幹郎展を見に前橋まで行った折、
展示をたのしんだ後、
幹郎さん館長さん学芸員さんに別れを告げ、
土砂降りの雨の中をタクシーで走ること一〇分、
前橋駅に到着。
電車の時刻まで少し間がありましたから、
売店に入ってうろうろ。
と、
「上州御用鳥めし竹弁当」
「上州御用鳥めし松弁当」と書いた箱が重なっていました。
うったえてくるうったえてくる!!
ああ、
これはきっと美味いに違いない!
天のお告げがありました。
というわけで、
二つだけあった「上州御用鳥めし松弁当」を
二つ購入。
一個七八〇円。
待合室で家人と実食。
ひとくち口中へ。
うんっめ~~~~~っ!!
もう息もつかず、
途中お茶で旨みを薄めることなく完食。
ふう、んめがった。
舌に味を記憶させた後、
お茶を一気にごくごくと。
あんまり美味いときは、
なぜかソウル言語の秋田弁に戻ります。
ソウルといえば、
この登利平の鳥めし弁当、
前橋はもとより、
群馬県民のソウルフードであることが、
ネット調べで判明。
関東に出てきて美味いなあと思った鶏肉は、
まずなんといっても横浜馬車道にある
勝烈庵のくわ焼きですが、
登利平の鶏肉は、
わたしの舌の好みからいって、
勝烈庵のくわ焼きといい勝負。
どっこいどっこい。
優劣つけがたい。
優劣つける必要もなし。
いやぁ、
それにしても、んめがった。

・モアイ像鼻がおいらに似ているね  野衾

やっと

 

・立ち止まり立ち止りして虫の声

もう忘れていました。
なにを?
秋を。
なんちゃって。
でも、
そう言いたくなるぐらい
いつまで経っても
ちっとも涼しくなりませんでしたからね。
このごろやっと汗の量が減りました。
季節感と関係あるのかないのか、
夢にウディ・アレンがでてきましたよ。
あのウディ・アレンです。
わたくし、
なぜかウディ・アレンの家に遊びに行くことになりまして。
ビックリ箱みたいな家で、
いたるところに
これでもかというぐらい
工夫が凝らされてい、
一歩ごとに日常を忘れていく仕掛け。
家の中に坂(!?)があり、
その両側にいろんな店があって、
変ったものをいろいろ並べている。
手に取って見ていると、
どこから現れたのか
怪しげな売人が声をかけてきたり。
これって、ウディ・アレンが変装している?
そうそう、
それから
変ったテレビが売りに出されていて、
うごく油絵だ!
なんだこれくしょん!
それからも
なんだ神田と過ぎていったのですが、
これって
季節の変化にともなって見た夢なのか、
そうでもないのか。
関係ありそうな
なさそうな。
うれしいような悲しいような。
お疲れーしょんなのでした。

・奈実ちやんに辞儀して座るテレビ前  野衾

地の依り代として

 

・群馬までときどき過ぎる花野かな

前橋文学館で開催されている佐々木幹郎展へ。
前橋は萩原朔太郎の生まれ故郷。
昨年佐々木さんの詩集『明日』が
第20回萩原朔太郎賞を受賞しましたが、
そのことを記念しての特別企画展です。
きのうがその最終日。
佐々木さんの活動範囲は広く、
詩も書きますがエッセイも書く、
湾岸戦争後、原油の流出したアラビア湾に
ひしゃくで油を掻き出しにいく「ひしゃく隊」に参加したり、
東京に住んだり、
浅間山麓に山小屋を作って住んだり、
ほぼ十年かかって中原中也全集を編集したり、
民謡の歌詞を作ったり、
それからそれから、
絵も描くし、映像も撮るしで、
まあほんとにいろいろ。
東日本大震災が起きてからは頻繁に被災地を訪れました。
そういう佐々木さんの展覧会ですから、
お宝の部屋みたいで、
ゆっくりじっくり楽しく拝見しました。
とくに推敲のあとが生々しく残っている原稿は
ことのほか面白く、
なんでかといえば、
佐々木さんがおっしゃる
「詩の言葉が出てくるときは、
自分の身体がリトマス試験紙みたいになっていて、
詩の言葉が足元からだんだん上がってきて、身体の色が変わってくる」
というイメージ(佐々木さんにとってはまぎれもない事実)
が指し示す事態が分かった気がしたからです。
依り代というのを、
わたしは自然分娩するときの妊婦がつかまる、
天井からぶら下がった綱みたいなものをイメージしていましたが、
この度の個展を見、
佐々木幹郎という詩人は、
地の依り代として詩をつむいでいると感じました。
綱が上から降りてくるのでなく
下からのぼって立っている。
その元の地がいまどうなっているか。
思う前に体が反応してしまっているのかな、
とも思いました。

・雨来る秋の祭りの散りて行く  野衾