切手収集

 

・七月もけふで終りになりにけり

ムージルの『特性のない男』を読んでいたら、
切手収集が実にすばらしい趣味である
ことを力説する
ちょっと変わった男が登場してきました。
文化を知るによく、
だけでなく、
貴重なものは高値で取り引きされるので、
おカネの無駄遣いにならないどころか、
むしろおカネが溜まることになる、
まさに一挙両得。
ま、
それはそうでしょう。
しばしわたしの眼は頁から離れ、
記憶の翼は遠く小学時代へと翔ていきます。
きっかけは、
なんだったかなぁ。
葹田(なもみだ)に家のある
同級生K君が集めていた
切手のアルバムを見せてもらったんじゃなかったかなぁ。
K君じゃなかったのかなぁ。
それともほかの友だち?
分かりません。忘れました。
が、
一時期、
相当熱心に集め、
それ用のアルバムを購入し、
一枚一枚セロファンのポケットにきれいに収め
悦に入って眺めていたことは確かです。
切手でも何でもそうなんでしょうが、
集め始めると、
だんだんその世界に嵌り
分かってきて、
そうすると、
欲しいなあというものが現れます。
人間、死にたくなったら、
なんでもいいから集めてみなさい、
しばし死の欲求からまぬがれる、
みたいなことを言った人がいましたが、
たしかに、
死にたいと思っている人が
何かを一生懸命集めているなんて聞いたこと
ないし、
何か特定のものを集めている人が
死にたいといっても、
いかにもリアリティがありません。
それはともかく。
切手を熱心に集めていた小学時代、
「写楽」だとか「見返り美人」だとか
「国際文通週間」のシリーズものだとか、
欲しかった。とっても。
小学生の小遣いじゃ買えないものばかり。
あんなに
狂熱の恋のように
目を輝かせ(たぶん)て集めていたのに、
何がきっかけでそうなったのか、
まさに憑き物が落ちたように、
いつしかぱったりと止めてしまいました。
以後、
一切興味を失ったまま今に至っています。
この文章を書くのに、
ネットで画像検索しましたが、
かすかに
かつての疼きを思い出しました。

・アブラゼミつまんで放って飛んでった  野衾