四度目

 

・朝早き吾より早き蝉の声

インド映画『きっと、うまくいく』を観に
今度は渋谷へ。
横浜市中区若葉町の
ジャック&ベティから始まった今回のツアー(?)、
川崎チネチッタを経て、
きのうは、
若者の街・渋谷のヒューマントラストシネマでした。
すっかり映画放浪人。
『釈譜詳節』の訳者の河瀬先生、
カメラマンの橋本さんもいっしょ。
河瀬先生は初めて、
橋本さんは三度目の鑑賞になります。
気が置けないお二人と
好きな映画を観たあとのビールがまた格別。
さて四度目ともなると、
いかに忘れっぽいわたしでも、
ストーリー、伏線ともにすっかり覚えており、
それでも観に行きたくなるのはなぜなのか
をみずからに問うてみたところ、
映画を観て
笑ったり泣いたりし、
ああ、面白かった!
という気分にいっときでも浸りたい、
そのことに尽きるような気がしてきました。
気分のマッサージ、
精神のリラックス、
感情のサーフィン、
満足して映画館を出ると、
街と人を
ちょっぴりやさしく見れるような気がします。
やっぱり、
ああ、面白かった!

・祖父祖母とこころ通はす盆近し  野衾

二度目のケセランパサラン

 

・このごろはスジ筋肉に五十肩

見るときは見るようです。
二度目は、
横浜駅横須賀線のホームにて。
大好きな映画『きっと、うまくいく』を観に
川崎へ向かう途上のこと。
横浜駅で
東海道線に乗り換えるべく
ホームに降り立ち、
番線を換えるのに階段へ向かうや、
ホーム右手にふわふわ浮いているではありませんか。
あ、
ケセランパサラン!
わたしはあわてて駆け寄り右手でつかもうとした。
ら、
逃げられた。
さらに近寄り今度こそ。
また逃げられた。
くっそー。
瞬間、
プワ~ン!!
横須賀線下り電車が入って來、
鋭く警笛を鳴らされた。
ケセランパサランどこへやら。
危なく!
ケセランパサランどころじゃなかった。
命びろい。
胸をなでおろす。
振り向けば、
家人涙眼になっておりました。

・クチナワの夢は吉兆鏡花かな  野衾

三度

 

・ひとから出ひとを離れて影絵かな

インド映画「きっと、うまくいく」を三度観ました。
三度、笑って泣きました。
嗚咽を漏らしたのは一回だけ。
インドのエリート工科大学に入学した
三人の学生が巻き起こす騒動に牽引され、
息つく暇もなく、
約三時間のドラマが演じられます。
ああ面白かった!
で、
また観たくなる不思議な映画。
学生たちがその大学に入ることは、
親の期待を背負ってのことであり、
学生もまた親の期待に報い、
エンジニアになることで
「幸せ」への切符を手に入れようとしています。
まさに幸福駅行きの切符。
その切符を手に入れるためには、
熾烈きわまる競争に勝ち抜かなければなりません。
負けは時により死をも意味します。
自分の夢の実現などもってのほか。
ところがここに、
競争など屁のカッパ、
自分の好きなことをやれば、
かならず成功は着いてくると言ってはばからない、
ランチョーというスーパー天才が現れます。
そんな天才いるかよ、
と思いながらもつい観てしまう。
この映画はまず、
ランチョーとその親友ファルハーンとラジューの物語なのです。
インターネットで検索すると、
みなさん、
笑って泣いて感動しているようです。
感動しますよ。
これに感動しなくて
なにに感動するんですか。
って、つよく言いたい。
そんな肩肘張る必要もごわせんが。
それで、
なににいちばん感動するかといえば、
感動の場面はいろいろあるわけですけれど、
自分以外のひとのために、
とにかく一生懸命一生懸命になる、なれるところ。
そこがいい! そこがすばらしい!
つくりものの映画だってかまわない!
どんな映画も
もともとつくりものじゃないか、
なんて。
わたしの知人の母親が亡くなったとき、
彼女は息子に対し、
自分のためだけに生きるのはつまらない、
ひとの喜びを
自分の喜びとするような生き方をしなさいと
遺言したそうですが、
そのことばを思い出しました。
主役ランチョー役の
アーミル・カーンがカッコよすぎですが、
カッコよすぎでも許しちゃいます。
友のため、
友の親のため、
恋人の姉さんのため、
ありったけの知恵をふりしぼり、
なりふり構わず行動する姿、
またそれに巻き込まれ同調し、
協力する人びとの姿に
どうしても
熱い涙がこぼれてきて、
理屈抜きで拍手喝采、
万歳三唱、
エールを送っている自分に気づきます。
あんなことはできないけれども、
すこしでも真似して
限られた人生を後悔することなく、
いい生き方をしたいと心底思いました。
もう一回観に行こうかな。
あのスピルバーグ監督も三回観たとか、
あのビル・ゲイツが
アーミル・カーンに会いにインドを訪問したとか、
この映画は館の外でもドラマを巻き起こしているようです。

・ぼわぼわと変化(へんげ)現る兆しして  野衾

ブルーベリーヨーグルチラーズ

 

・きのふまで鳴かずけふより蝉のこゑ

先週の木曜日、
気功教室に通うべく
横浜駅ダイヤモンド地下街を歩いていましたら、
通路の右手にドーナツ屋がありまして、
ドーナツはめったに食べませんから
そのまま素通りは当然のこととして、
シェイク風の
冷たい飲み物のメニューが目に留まりました。
すでに地上への階段に差し掛かっており、
熱風が舞い降りてくる境、
わたしは回れ右してドーナツ屋へ回帰。
そのドーナツ屋は、
ミスター・ドーナツではなく、
クリスピー・クリーム・ドーナツとかいうものでした。
店内の壁に掲げられた写真を
穴の開くほど眺めて後、
あれをください。
ブルーベリーヨーグルチラーズですね。
はい、それ。
ほかにもメニューはございますが、よろしいですか。
メニューを見せてください。
こちらです。
どれが一番売れていますか?
そうですね。ブルーベリーヨーグルチラーズでしょうか。
それならやっぱりそれをください。
はい、わかりました。410円になります。こちらでお召し上がりですか。
いえ。持ち帰ります。
少々お待ちください。
というわけで、
人生初の(大げさか)
ブルーベリーヨーグルチラーズを購入し、
冷たいプラスチック製の容器をぎゅっと握りしめ、
かながわ県民センターまで。
玄関を入ったところのソファに腰掛け、
ちびちび飲んだ。
おいちーー!
いや。
おいしい。
アイスの好きなりなちゃんに
飲ませてあげたいと思いました。

・田道過ぎ女子大静か茂り中  野衾

影たちの祭り

 

・影たちが生きて飛び出す祭りかな

新宿ケイズシネマで公開されている、
『影たちの祭り』を観てきました。
日本で初めての影絵劇団「かかし座」は、
昨年、
創立六十周年を迎えましたが、
その舞台裏と団員たちの悲喜こもごもを描いた
ドキュメンタリー映画です。
監督は、
『火星のわが家』『凍える鏡』の大嶋拓さん。
ドキュメンタリー映画は初になります。
映画の主役は、影たち。
ひとは脇役。
映画を観ながらいつしか、
少年のころの
なつかしい記憶に連れもどされます。
手を光にかざして
影をつくり、
いろいろに形を変え、
それを楽しまなかった子どもがいるでしょうか。
いつの時代の、
どこの国の子どもも、
自分がつくりだす影に驚き、
友だちといっしょに
わいわい遊んだり、
一人のさびしさを紛らわしたり、
影にやどる命の不思議に驚かされたり
してきたのではなかったか。
お客さんの前で演じる劇団となれば、
大道具小道具いろいろ必要になりますが、
手そのものはだれでも持っていて、
それを光にかざしさえすれば、
そこにたとえば、
ウサギが、
ネコが、
白鳥が、
ペンギンが、
ライオンが、
キリンが、
象が飛び出してきます。
上手にできないかもしれないけれど、
まねして自分でもやってみようという気になります。
そこに
ことばを超えたコミュニケーションが成り立つ
ゆたかな宝がひそんでいると
思わされました。
外国でも好評を博しているそうですが、
うなずけます。
映画のなかの影たちを見ながら、
ひとつ気づいたことがありました。
それは、
演じ手からいったん切れて、
透明になっているということです。
しかし、
生まれた影は透明でも、
人間が透明なことはありえない。
映画の後半、
透明な影たちを生み出す団員たちのドラマに、
カメラは
何かに引き寄せられるように迫っていきます。
その引き寄せられ方に身を乗り出します。
これまで劇映画をつくってきた大嶋監督の
本領、こころの動きも反映されているのでしょう。
映画は十九日まで、
JR新宿駅東南口近くの「新宿ケイズシネマ」にて。
詳しくは、コチラをご覧ください。

・風立ちぬ葉裏しらしら招きけり  野衾

恩師・中条省平先生

 

・学習院守本奈美ちゃんでたところ

十文字学園女子大学冠(かんむり)講座の
来週のゲストは、
学習院大学文学部
フランス文学科教授の
中条省平さんにお願いしてありますので、
事前の打ち合わせに、
目白の学習院大学まで
とっとこ行ってまいりました。
中条先生とのご縁は、
いまから二十一年前。
いまもあるCWS(クリエイティヴ・ライティング・スクール)
すなわち創作学校の一期生として
渋谷に足を運んだときでした。
毎週二回の講義は、
楽しくもきびしいもので、
しょっちゅう原稿用紙十枚ほどの
短編小説を書いて提出しなければならず、
夏休みともなると、
長編を書くことを課されたり、
小説を書いたことのない人間にとっては、
まさに地獄の苦しみ。
髪型からして怒髪天をつく気迫の安原顯さんに対して、
もう一人の定期講師である中条先生は、
実に紳士的で物静かなお人柄に思えたものです。
著名な作家たちの有名な小説の、
どこが技術的に優れているかを解説してくださり、
だけでなく、
提出した、おそらく小説にもなっていないであろう
にわか小説に、
それでも懇切丁寧に、
ここをこうすればもっとよくなると、
わかりやすく優しく手ほどきしてくださいました。
物を書くときの技術を、
わたしは中条省平先生から教わりました。
その恩師と壇上に立ち、
学生の前で話しする機会がめぐってこようとは、
夢にも思いませんでした。
人生は不思議です。

・学習院サンダル履きの男あり  野衾

表現するこころ

 

・肌着なくTシャツ一枚透けにけり

詩人の佐々木幹郎さんを
十文字学園の講座にゲストとしてお招きしたとき、
佐々木さんは、
詩のことばは沈黙へ向かう、
ことばの無い世界をめざして詩のことばはある、
とおっしゃいました。
そうなんだなと腑に落ちました。
そうでなければ面白くない。
演出家の竹内敏晴さんは生前わたしに、
「竹内敏晴といえば、皆、
からだのことをやっていると思っているようだけれど、
それはそうなんだが、
からだのことをやっているのは、
精神をもとめてのことだ」とおっしゃいました。
ヴァレリーの『精神の危機』を
再度読もうと思っている、
ともおっしゃっていました。
ことばの無い世界、
精神、
本に書いてないこと
を知るために、本を読みたい。
十文字学園女子大学での講座について、
秋田魁新報の斉藤賢太郎記者が取材してくださり、
記事を掲載してくださいました。
ありがたし!

・猛暑日は頭の皮膚に熱刺さる  野衾