朝鮮日報に

 

・ゆらゆらと夏日に惑う北海道

全三巻で完結した日本語訳『釈譜詳節』の紹介記事が、
「本家」韓国の大手新聞である
朝鮮日報に掲載されました。
コチラです。
その日本語訳はコチラ
偉業を成し遂げた河瀬幸夫先生は、
わたしが高校に勤務していたころの先輩であり、
そのころからこつこつ
独学で韓国語を勉強されていました。
あれから約三十年、
自国の人も読めない知らない韓国の
古典中の古典を訳し終えました。
外国人ならではの視点で
欠損のある貴重な文献の全体像を
浮かび上がらせました。
すばらしいことだと思います。
謙虚な心で相手の国を人を敬うということがなくて、
どうして仲良くなど付き合っていけるでしょう。
この仕事に敬意を払い、
紹介記事を載せてくれた朝鮮日報と
イ・テフン記者にも感謝です。
河瀬先生は情の人です。
生徒を叱り、諭す先生の姿が
目に焼き付いています。
三十年間の学びと精進を支えた
人知れぬ情の火を思わずにいられません。

・雨降らず我田引水浮上せり  野衾

偶然?

 

・桑の実の触るれば引かれ落ちるなり

世の人の色の好みはいろいろですが、
以前勤めていた会社のお客さんで、
持ち物や身につけるものすべて緑の男性がいました。
それほど極端でなくても、
緑が好きな人は少なくありません。
昨日、
専務イシバシ、編集のオカピ、
新入社員のKさんが三人で出かけ、
O先生と本づくりについて打ち合わせをしてきました。
O先生、緑が好みらしく、
緑色の持ち物がいくつかあるなかで、
打ち合わせの際に
机上に置いたペンケースが緑だった。
それを見たオカピ、
「あ。ぼくのとおなじです!」
色も形もまったくおんなじ。
Kさんが写メールを送ってくれましたので、
下に掲載しますが、
なんと驚いたことに、
このペンケース、
わが大親友りなちゃんのともおんなじ!
超びっくり。
偶然が重なったとはいえ、
ちょっと驚き嬉しくなりました。

・桑の実のごつい顔していと美味し  野衾

おかずから

 

・桜の実鎌倉までの道しるべ

白いご飯が好きなので、
食事のときは
まずご飯を箸で挟んで口中へ運び、
よく噛み、
ご飯の焚き上がり具合、
米粒の旨みと甘さを味わってから
おもむろにおかずのほうへ箸をつける、
というのが
大げさに言えば我が半生の
食事法だったのですが、
そうすると美味しさからつい
ご飯をお替りするか、
先手を打って大盛りを頼むかすることになり、
若いころなら
それでもかまわないでしょうが、
五十代も半ばとなった今、
このままこれまでの食事法を続けていると、
いくら気功をやっているからとはいえ、
気功で消化するエネルギーを超えて、
腹に脂肪が溜まるのは火を見るよりも明らか。
かといって、
食べることが何よりも楽しみで、
食の欲望にからっきし弱いわたしとしては、
我慢することなどまず無理。
ならばと一計を案じ、
ご飯から箸をつけるのを止して、
おかずから積極的に食べることにしました。
むしろご飯をおかずにする体で。
それだけのことですが、
たったそれだけなのですが、
これが案外功を奏し、
このごろは、
普通のご飯茶碗一杯で食事が済むようになりました。
昨日の昼、
よく行く会社近くの定食屋に行きました。
黙っていてもご飯を大盛りにしてくれます。
大盛りでなかったのは、
わたしが病気をしていたときだけでした。
マスターに
「今日は、ご飯を普通盛りにしてください」
と告げると、
マスターとママさん声をそろえ、
「どうしたの!?」
立ち姿がまるでミーアキャット。
二人は、
わたしがまた
どこか具合でも悪いのかと思ったかもしれません。
「気分です」と答えたのですが。
これで一件落着のようですが、問題は鮨。
おかずとご飯がいっしょではないか。
鮨ネタを全部剥がして先に食べ、
後からご飯だけを食べるとか?
そんなことをしたら、店の人に嫌われるだろうな。

・はるばると時を眺むる能見台  野衾

墓穴

 

・山路来て宝石よりも花石榴

先日ここに記した専務イシバシネタが
好評を博しましたので、
さらに一つご披露させていただきます。
イシバシ、きのうは、
ある大学へ営業に出かけました。
その大学でわたしもよく知っているある先生と、
小一時間親しく話ができたそうです。
そういうときこそ、危うい。
先生が
ご自身の健康のことを話題にするや、
イシバシ何を思ったか、
「あら先生、お顔の色艶もいいし、
手の指先もすっとして若々しく、
お声にも張りがあって、
とても六十代には見えません!」
先生「え?」
イシバシ「は!?」
先生「六十代?」
イシバシ「ん!?」
先生「わたし、まだ六十になってませんけど…」
イシバシ「あ。これはどうも。失礼いたしました。ははははは」
先生「あはははは」
温厚で大らかな先生ですから
よかったようなものの、
危ない場面でした。
いまこれを書いていて思い出しましたが、
イシバシ、
かつて思想史の著名な研究者に会ったとき、
明恵上人のことを研究していると
先生がおっしゃったので、
イシバシまじめに「お会いしたのですか?」
まじめな先生笑わずに
「いえ。鎌倉時代の人ですから」
イシバシ「鎌倉時代…。ははははは」
先生「………」
ことほど左様に、
九十九里原人イシバシネタは尽きません。

・空梅雨を拍子抜けしてコアラかな  野衾

 

・山道を埃落として梅雨晴間

源氏物語を読んでいるうちに、
文字言語よりも音声言語に興味が移り、
たとえば月はなぜ月か、
夜空に光るアレを
なぜ「つき」と呼ぶようになったのか、
そんなことがこのごろどうも気になります。
アルセーニエフ作、
黒澤明監督の映画『デルスウ・ウザーラ』において
デルスウは、
太陽は一番目に偉い人、
月は二番目に偉い人、
とたしか言っていたように記憶しています。
それからの連想で。
「二番目に偉い」は
「次に偉い」とも言い換えられますから、
次(つぎ)→月(つき)か?
ん~、ちょと無理がある。
やはり、
月の満ち欠けが関係しているのでは。
だんだん太って満月となり、
だんだん欠けて終(つい)に見えなくなってしまう。
その「終に」の感じは「尽きる」にちかい。
ものがだんだん減って終に尽きる。
尽きるから月、
これかな。
また今回の源氏は、
新潮日本古典集成で読んだのですが、
「しみつく」に頭注が付されており、
「男女が深い仲になる」とありました。
この「つく」は、
漢字で書けば「付く」か「着く」でしょうけれど、
音の共通性は、
身体的に
何らか重なると見ていいのではないか
という気もします。
そうやって
ことばを口にのぼせてみると、
居ながらにうずいたり、
かろみが増したり
雨に降られ
風が吹き抜けてもいくようです。

・ゴールしてひょいと垣根の花ざくろ  野衾

鎌倉まで

 

・木漏れ日を揺らしささやく初夏の風

『釈譜詳節』の訳者である河瀬幸夫先生に
ガイド役をお願いし、
京急金沢文庫駅を起点とし、
六国峠を通って鎌倉まで歩いてきました。
梅雨入りしたこともあり、
事前には「曇りときどき雨」の予報でしたが、
当日のきのうの予報は「曇り」に変り、
「雨」は消えました。
本来の入山入口が封鎖されていたため、
迂回路をへて人通りのない山中へ。
程なく、
道にのたばる蛇に遭遇。
深碧色の青大将。
「死んでいるんだよ」と河瀬先生。
同行の家人、固まる。
「いや、生きていますよ」とわたし。
細い道の横が少し空いていたので、
蛇に気づかれぬよう静かにすり抜けようとしたら、
反対に蛇のほうがするするすると動き始め、
藪の中へ姿を消しました。
目が覚めた。
しばらく歩くと、
今度は木の枝に何やら黒い影。
きけば台湾リスとのこと。
能見台とは、
昔は、ついこの先までが入海になっており、
それはそれは絶景かな絶景かな。
ひと呼んで能見台。能(よ)く見える。
なるほど。
さもありなん。
ところどころで、
先生の景観にまつわる説明を拝聴し、
ゆっくり進行いざ鎌倉へ。
途中、野生の桑の実を食す。甘い!
港南台のほうからやってきたというおじさんが、
桑の実を採ってはビニールの袋に入れていました。
持ち帰り、ジャムを作るのだとか。
おじさんに別れを告げ、また歩く。
落ちた桑の実が土を黒く紫に染めています。
桑の実だけでなく、
さくらんぼも落ちていました。
拾って口中へ。苦い!
先生の健脚に驚きながら、
木漏れ日を肩に浴び、
気づけば、
わたしはいつの間にやらだんまり虫。
六国峠から天園へ。
明月院方面へ下山し、昼は鉢の木にて。
逗子から初めてのシーサイドラインで並木中央へ。
先生のお宅へお邪魔ししばし歓談。
韓国土産を頂戴し、
さらに京急富岡の駅まで送っていただき、
電車でとことこ井土ヶ谷まで。
歩数三万、
歩行距離二十キロの行程でありました。

・尾根づたひ歩き歩きて花ざくろ  野衾