眠りになじむ

 

・六月を生きて感じて眠りかな

興奮しすぎると、
子どもでなくても、
夜中に眼が覚め、
前日あったことが脳裏を駆け巡ります。
何度も何度も…。
なにかあたらしい考えが浮かぶのではありません。
ただ繰り返し繰り返し、
印象深いシーンが思い出されます。
きのうは、
十文字学園女子大学のわたしの講座に、
詩人の佐々木幹郎さんをお迎えし、
「詩と人生 いつ詩はできるか? 触れることをめぐって」
をテーマにお話いただきました。
素晴らしかった!
朗読。
詩人の詩の朗読の凄さ。
むかし東洋一の刑務所といわれた豊多摩監獄、
その解体の様子を佐々木さんがフィルムに収めた動画上映。
詩集『音みな光り』より
「音も無く」の詩の朗読。
東日本大震災。
エッセイ集『瓦礫の下から唄が聴こえる』より
「声たち(大船渡市・下船渡)」の詩の朗読。
未来からの記憶として
これから何度も何度も思い出すでしょう。
夜中に眼が覚め、
シーンが繰り返された後、
気づけば、
朝になっていました。
眠ったのだなと…。
あのとき、
繰り返されるシーンになじみ、
眠りになじみして、
たゆたい、
そうして眠ってしまったのでしょう。
朝を迎え、
まず
窓を開けます。
風が入ってきました。

・ことばもてことばの無きを目指すなり  野衾

下北沢といえば

 

・あぢさゐや語りかけたき心地せり

新井奥邃先生記念会の帰り、
写真家の橋本さんと二人で外へ出て左右を見渡したとき、
なんだかこの風景
見たことがあるぞと思いました。
去年の記念会もここでやったのですから、
「見たことがある」と感じて
不思議はないわけですが、
記念会とは別次元で
「見たことがある」感が
体によみがえりました。
橋本さんに、
間違っていたらごめんねと言いながら
駅へ向かう道と反対方向へ歩いていたら、
「見たことがある」感のレベルがどんどん増してきます。
「あ!」
「どした?」
「あったー!!」
「なにが?」
「マジスパ」
「マジスパ?」
「マジックスパイス」
「マジックスパイス? なにそれ?」
「そうか。下北沢といえばマジックスパイスだ!」
「なにそれ?」
「ん。おいしいスープカレー屋さん」
「おいしいの?」
「おいしい。食べに行こうか」
「行こう行こう」
というわけで、
マジックスパイス東京下北沢店に、
わたしはおそらく八年ぶりぐらいに、
橋本さんは初めて入りました。
チキンカレーとシンハビールを注文。
来年の記念会の帰りにまた来ようっと!

・ことば捨てことばを持てと濃あぢさゐ  野衾

新井奥邃先生記念会

 

・東京の寺にキリスト奥邃忌

きのうは新井奥邃先生九十一回目の祥月命日にあたり、
十数名が集まり森巌寺に墓参、
その後、
北沢タウンホールにて記念会となりました。
写真家の橋本照嵩さん初めて参加。
驚いたのは、
奥邃の門下生の一人である原田嘉次郎氏の孫・堀内信雄さんと、
奥邃を最後まで側で世話し、
奥邃からただ一人洗礼を授かった中村木公(千代松)氏の
ひ孫・樋口扶美子さんのお二人が会にお越しくださったこと。
原田氏は牧畜家として秀でたところのあった人で、
「人類の友としての山羊」という文章もあります。
中村木公氏のひ孫にあたられる樋口さんに、
木公は、
「ぼっこう」と読むのが正しいのか、
「もっこう」と読むのが正しいのか、
ずっと気になっていたことを尋ねました。
「母の話では、おじいちゃんは『もっこう』と呼ばせていたそうです」
と教えてくださいました。
「松」の字を分解しての木に公で
みずから「木公」という号にしたわけですから、
ご遺族のお話は決定的だと思われます。
すっきりしました。
それはともかく、
堀内さんにしても樋口さんにしても、
奥邃に感応した人の息吹に直に触れるようで、
震災後の今、
本気で奥邃の文章を再読したくなりました。
奥邃は「再読無益なり」と書いていますけれど。
無視することにします。

・孫ひ孫集ひし寺の奥邃忌  野衾

23センチ

 

・傘差してバッグで電話はちょときつい

トイレットペーパーのことですが。
トイレットペーパーには切れ目が入っています。
用を足して紙をくるくるっと引っ張り
切ろうとすると、
ちょうど程よい長さのところに切れ目が来ることは
まずない。
もう少し引っ張って
びりっと切ることになります。
余分に出てきた紙をホルダーに
巻き戻してあげることはしません。
結果、
細かいことながら
どうでもいいように思えがちなことながら、
毎度毎度、
必要以上の長さの紙を
尻にあてることになります。
わたしの自宅はまだウォシュレットではありませんが、
ウォシュレットの有無にかかわらず、
トイレットペーパーは使うはず。
それはともかく。
長さを測ってみたところ、
切れ目と切れ目の間は
23センチありました。
もちろん23センチひと区切りの長さの紙だけで
用を足すわけではありませんが、
これが例えば、10センチきざみとか、
5センチきざみなら、
一回につかうトイレットペーパーの長さは
今よりきっと短くなるのでないか。
そんな気がします。
それとも、
ひょっとしたら、
種類によって
切れ目間の長さが異なるのでしょうか。
はたまた、
なるべく紙を消費させようという
行動心理学と統計学に基づくメーカー側の戦略だとか。
23センチというのが問題です。
さらに長くして
例えば30センチ、50センチならどうか。
そうなると、
今度は
余分に取り出された紙を
ホルダーに戻す人が出てくるのではないか。
23センチ。
なかなか微妙な長さではあります。

・皿上の回遊魚たち廻りけり  野衾

やっぱり

 

・一日を雨に降られて黴ごころ

JR市川駅改札、17時30分に待ち合わせ。
わたしは初めてお目にかかる先生です。
途中、
東京駅東口の丸善に立ち寄り本を三冊購入、
それから総武線の電車に乗り換え
千葉方面へ。
午後五時前だというのに、
すでに車中ずいぶん混雑しています。
17時20分、
約束の時刻より10分早く着きました。
スイカを改札機のパネルにタッチし、
広場にでると、
正面で、
あれは電池で光るのか、
ちかちかちかと光るバッチを売っていました。
別の駅前で売っているのを見たことがあります。
はは~ん。
やっぱりね。
世のおばさんというのは、
どういうわけかこの光るバッチが好きなんだよな。
ちょっと面白いから写真に撮っておこう。
パチリ!
それにしてもよく光るなぁ。
おもしれーなぁ。
ちょっと近づいて見てみるか。
ん!?
おや?
なんだか後姿に見覚えのある人がいるぞ。
もしかして。
横顔をそっと覗いてみれば。
「あ」
「あ」
「ははははは。やっぱり」
「どれがいいと思う?」
「どれがいいと思うって、九十九里出身なんだから、
そのヒトデ型のにしなさいよ」
「やっぱり。わたしもこれがいいと思ったのよ」
専務イシバシ、
青い光るヒトデ型のバッチを一個購入。二百円也。

・六月の青紫陽花に吸われけり  野衾

慈雨

 

・稲のためやつと来た来た低気圧

六月だというのに
このところずっと晴れの日がつづき、
寒くなくそれほど暑くなく、
散歩や山歩きには最適でしたが、
稲の成長を考えると、
さて困ったものだと思っていました。
秋田の父もこぼしています。
きのうあたりから
やっとポツポツ降り出し、
やれやれと胸をなでおろしているところですが、
インターネットで
秋田の天気を調べてみると、
かろうじて曇りマークがついているぐらい、
雨のマークはまだのようです。
さて今月十六日(日)は新井奥邃の祥月命日、
九十一回忌にあたります。
年に一度開催される新井奥邃先生記念会は、
命日にちかい日曜日に行われてきましたが、
今年今月の日曜日は奇しくも十六日で、
きのうは、
そのための事前打ち合わせもありました。
十六日は
奥邃の墓参を兼ねていますから、
お墓の前で手を合わせ、
新井奥邃はもちろんですが、
『新井奥邃著作集』の監修者で、
昨年三月にお亡くなりになった工藤正三先生の遺徳をしのび、
弊社創業の初心を確認したいと思います。

・花柄の傘交差する十文字  野衾

どこの?

 

・稲のため早く来い来い低気圧

橋本「今度、写真集『瞽女(ごぜ)』のプリントを
出展販売することになったよ」
三浦「へー、よかったじゃない。おめでとうございます。どこで?」
橋本「アルルで」
三浦「へー。アルルで。南浦和の?」
橋本「いや」
三浦「じゃあ、新宿歌舞伎町?」
橋本「そうじゃなく」
三浦「銀座か?」
橋本「そうじゃないって」
三浦「じゃあ、どこのアルルよ」
橋本「南フランス」
三浦「え!?」
橋本「南フランス」
三浦「ほい?」
橋本「だから、南フランスのさ」
三浦「だったら、本家本元のアルルじゃないの?」
橋本「最初から言ってるじゃない」
三浦「だって、アルルってしか言わないんだもん。
南浦和にそういう名前のギャラリーでもあんのかと思って。
それはほんとにおめでとう! ところで、なんで『瞽女』が?」
橋本「国際写真フェスティバルに出展することになりました」
三浦「あ、そう。いつからいつまで?」
橋本「今年の七月一日から八月末日まで」
というわけで、
橋本さんの写真集『瞽女』が、
南浦和でなく南フランスのアルルで開催される
国際写真フェスティバルに正式出展されることになりました。
今日は、その橋本さんをゲストに迎え、
十文字学園女子大学にて、
「写真家人生」をテーマに対談します。
十文字の講座について、
新文化通信社の冨田薫(とみた・たぎる)記者が
記事にしてくださいました。
コチラです。

写真は、まるちゃん提供。

・空仰ぐ季節の雨を降らせてよ  野衾