問いをはぐくむ

 

・新緑や風の流れを見てゐたり

姜信子/ザーラ・イマーエワ著
『旅する対話 ディアスポラ・戦争・再生』の書評が
「週刊読書人」四月十九日号に掲載されました。
評者は東京経済大学教授の本橋哲也氏。
コチラです。
書評のなかで本橋氏は、
「姜信子さんは、
「西洋的な自己」を確立しようとした日本の近代によって
産み出されたディアスポラたち、
在日、炭鉱、水俣、沖縄、ハンセン病といった近代軍需産業資本主義による
負の遺産に寄り添い、それらが自らの肌と耳に刻んだ痕跡を
類まれな詩的言語で表出してきた。」と語っています。
同感です。
本書を読みながら、
わたしは石牟礼道子さんを思い出しました。
石牟礼さんの代表作である『苦海浄土』の副題は「わが水俣病」。
二〇一一年三月一一日以降の状況を、
たとえば「わが原発」として捉えるために、
問いをうるおし、
はぐくむために、
即答を求めるのではなく、
「さらなる対話へと誘う」本です。
どうぞお手に取って読んでみてください。

・時忘れ五月半ばとなりにけり  野衾

悩むミミズ

 

・目を閉じて葉音楽しむ五月かな

階段のところで、
ミミズが死んでいました。

人生不可解といって死んだ
藤村操のようなタイプかもしれません。
ちなみに、
きのうの写真は蟻の巣穴です。
後刻家人に「なんの写真?」と訊かれました。
実は、
蟻がいっぱい出入りしていたのですが、
なぜか携帯カメラを向けるとサッと
蜘蛛の子を散らすようにいなくなるのです。
蟻も蜘蛛の子もいっしょ。
カメラを向けるとサッ。
向けるとサッ。
向けるとサッ。
何度やっても。
切りがありません。
とうとうあきらめて撮ったら、
一匹写っていたので良しとしました。
写真を拡大するとわかります。
拡大しないと分かりませんから、
そうすると、
「なんの写真?」

・衣擦れの音かと耳を澄ましけり  野衾

ワニは偽善者?

 

・窓近くコーヒーの木も若葉かな

crocodileに「偽善者」の意味があるとは
知りませんでした。
サミュエル・ジョンソンの『英語辞典』
に関する研究書の原稿を読んでいたら、
そのことに触れられており、
驚きました。
辞書で調べたら、
ちゃんと出ていましたから、
わたしが知らなかっただけかも知りません。
crocodile tears といえば、
偽善の涙、
そら涙の意味だそうです。
ワニはえさを食べながら涙を流す
という言い伝えからだとか。
どうしてそのことに目が行ったかといえば、
拙著『マハーヴァギナまたは巫山の夢』のなかに
ワニがでてくるからです。
ワニにそんな意味があるとは知らずに
登場させましたが、
小説の初めのほうで、
三平が玖美に平手打ちを喰わされる場面があり、
そのことを、
玖美が「偽善的行為を極度に嫌う」
と読んでくださった評者もいましたから、
また、
そう読むことはワニ(スミマセン!)
でなく「あり」なわけですので、
だとすると、
ワニの登場には
別の意味が付与され、
書き手にとって
思いもよらなかった景がひらかれもし、
おもしろいものだなぁと思った次第です。

・蟻の巣の働き蟻のうろたへり  野衾

携帯写真

 

・京浜線停まり停まりて新座まで

携帯電話には写真機能がついていますから、
季節季節の花や
面白いもの変なものがあると、
写真を撮り、
ここに順次アップしています。
けっこう花の写真が多いことに自分で驚いています。
他人事のようですが、
咲き始めた花の色、
その鮮やかさに驚いているのでしょう。
きのうは、
いつも通る道端にこんなものがありました。

本町小学校の
グラウンドを整備しているのか、
校舎の一部を増改築しているのか
定かではありませんが
とにかく工事中であることに変りなく、
用途は分かりませんけれど、
その関係の物体ではあるのでしょう。
が、
ひと目見た瞬間、
顔に見えました。
ほら。
ね。
見えるでしょ。
しかも、
不敵に笑っている。
昔、笑い仮面というのがありましたが、
それを思い出しました。

・新緑や若き過ち揺れてをり  野衾

 

山田屋の白露ふうき豆

 

・連翹の色に目覚める里の朝

連休の最後、
蔵王温泉大露天風呂に浸かりたくて山形へ。
硫黄の匂いただよう宿で一泊し、
翌朝バスで山形駅へ。
駅ビルのみやげもの屋でぺそら漬け、やたら漬け、
青唐辛子のみそ漬けを購入。
山形は漬物の宝庫。
どれも、
昨年三月二日に亡くなられた工藤正三先生から
教えてもらった、
というか、
横浜へ来られるときに必ず持ってきてくださり、
味を知った漬物ばかり。
先生がお持ちくださるもう一つに、
ふうき豆という生菓子がありました。
駅ビルでは
何社かのものが出ていましたが、
先生がお持ちくださるものが欲しくて、
漬物を買ったところのおにいさんに、
一番美味しいふうき豆はどこのものかと尋ねたところ、
言下に、
山田屋と教えてくれました。
本店でしか売っていないとのこと。
根拠はありませんでしたが、
工藤先生が買ってきてくださったのは、
それに違いないと思い、
タクシーの運転手にふうき豆の山田屋と告げ、
店まで行ってもらいました。
包装紙にはさむ赤い紙を見た瞬間、
これだ! と思いました。
間違いありません。
先生は、
『知られざるいのちの思想家 新井奥邃を読みとく』
『新井奥邃著作集』全十巻
の編集のたび、
また、
毎年六月に行われる新井奥邃先生記念会のたびに、
わざわざ、
山形市十日町2丁目5-45の山田屋に
足を運んでいたのでした。
いた人がいなくなるのは、
本当にさびしいものと思いました。

・露天風呂裸の猿の五月かな  野衾