鈍重の気

 

・階(きざはし)を寺も社(やしろ)も桜かな

源氏物語の中に、
四十の賀、五十の賀というのがでてきます。
四十歳になったこと、
五十歳になったことのお祝いですが、
人生五十年という考え方からすれば、
さもありなん。
平均寿命が延び、
四十、五十は血気盛んの真っ只中
かも分かりませんが、
自身を点検すると、
あちこち故障してきていることが確認でき、
だけでなく、
行動も所作も思考も
鈍重になってきていることに気づかされます。
鈍重さをありがたいとも思います。
先日、スクランブル交差点を歩いていたときに、
目の前をビューと
馬鹿野郎自転車が駆け抜けていきました。
危なく接触するところでした。
ぶつかったら間違いなく、
吹っ飛ばされていたでしょう。
怒り心頭、
交差点の真ん中で立ち止まり、
小さくなっていく自転車を遠近法で睨みつけていたら、
あっという間に信号が変り、
クラクションを鳴らされました。
こういうときです。
歳をとったなぁと思い知らされるのは。
会社では、
若い人の気が充ちて気持ちがいい。
わたしはお香となって
鈍重の気をくゆらせます。
四月からは新卒の三名が加わります。
社員数は変りません。
いい仕事をしたいと思います。

・細道に迷ひ昭和へ抜けられます  野衾