詩の読み方

 

・がふがふと何を運ぶか春の風

小学生のころから詩を習います。
いまでも、おそらくそうでしょう。
わたしは、
詩というものがずっと分からないできました。
いまも、
分かっているのかと訊かれれば、
こころもとない気がします。
詩が分かるということは、
どういうことを指すのでしょうか。
分かるか分からないかはひとまず措いといて、
一方でずっと詩が気になってきました。
今だにそうです。
それで、
どんな風に読むかといえば、
気になる一篇の詩を
何遍か、
何十遍か、
繰り返し繰り返し読みます。
ゆっくり読みます。
黙読だけでなく、
声に出して読んだりもします。
そうすると、
ある種の詩の場合、
何遍か、
何十遍か、
読んでいるうちに、
なんらかのイメージがからだにやってきます。
思いもしなかったことばが湧いてきます。
これがなんとも面白い。
こういう詩の読み方は、
どこかにちゃんと書いてあるのかもしれませんが、
わたしはそれを本で知ったのではなく、
亡くなった竹内敏晴さんのレッスンに参加していたときに、
モノに触れてはじめてイメージは湧くと
竹内さんがおっしゃった
そのことを詩に応用し、
それを実地に行っているだけです。
したがって、
わたしにとって詩のことばは、モノです。
上で、
「ある種の詩」と書きましたが、
イメージがからだにやってくる詩は、
他の人はともかく、
わたしにとっては「いい詩」なのです。
そういう詩が一つ、
また一つ増えていくことも、
生きるよろこびだと思います。
昨日、
佐々木幹郎さんから詩のお原稿をいただきました。
何遍か読むうちに、
はっきりとイメージが湧いてきました。
泣きたいようでもあり、
うれしいようでもあり、
切なくなつかしい気持ちに襲われました。
今度の「春風目録新聞」に掲載します。
タイトルは「家族の肖像」
お楽しみにお待ちください。

・春の風いまが極楽ありがとさん  野衾