体で読む、体が読む

 

・六時過ぎいよいよ寒き雨となる

河瀬幸夫訳『釈譜詳節』中巻の校正校閲が終盤に入りました。
上巻、下巻と来て、
これが全三巻の最終配本になります。
仏教の真髄である法華経が中心となっており、
読むだけでも一苦労です。
河瀬先生、よくぞこれを訳されたと驚きます。
訳稿を十遍見返したというのも宜なるかな。
この原稿を読みながら、
ずっと考えていることがあります。
それは、
分かる、
分からないというのは、
どういうことを指すのかということ。
阿耨多羅三藐三菩提は仏教の悟りの境地だそうですが、
この言葉が原稿に何度も出てきます。
あのくたらさんみゃくさんぼだい。
読み方を知って、
辞書で意味を知る。
でも、
それで分かったことには到底なりません。
ゆっくりゆっくり読んでゆきます。
木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ

加藤楸邨の俳句を口ずさみなどしつつ。
ほんと、
まるで山を登っているようです。
辞書は杖。
と、
目を文字に這わせ、
いわば体を道具として読んでいたのが、
いつからか静かなリズムを刻み、
体で、
ではなく、
体が読む瞬間がおとずれます。
決して分かったわけではありません。
分からなくても面白い。
そういう読み物。
かるく分かったら困ります。

・冬空や校庭の子ら消え失せり  野衾

虚と実

 

・能楽堂出でて冴え冴え冬の月

「鎌倉発・再生する伝統!」と題する舞台を観てきました。
というより、
聴いてきました。
なぜなら、
神奈川フィルハーモニー管弦楽団弦楽四重奏と
邦楽界の期待の新星・中井智弥(なかい ともや)
それと
観世流能楽師シテ方・中森貫太のコラボレーションで、
音を中心とするものだったからです。
とはいうものの、
最後の演目「井筒」は、
中森が面をつけていなかったからこそ、
むしろ
虚の世界に入ってゆく入り口、
虚の世界を生き、
息し、
さらに実を捉える瞬間から
たゆたう時のふるえを共感できる、
また、
底のない底に身を置くすばらしい舞台。
音は背景。
板に接していた扇の端が
すっと宙に浮いた、
針の穴より小さい虚への移行が叶った
それは一瞬でした。

・千年の井筒の恋の寒さかな  野衾

車内放送

 

・目覚めてはおお寒(さぶ)!まずは温度計

家と会社の行き帰り、
電車の中でファーブルの『昆虫記』を読んでいます。
ファーブルは本当に昆虫が好きだったらしく、
ていねいにまた丹念に観察を続けます。
記述もその分、
微に入り細を穿っています。
そのとき、
割れんばかりの声が電車内に響き渡ります。
次はなんの駅、
どちら様も忘れ物に注意しろ、
次の駅が終点だ、
次の駅が終点なので、
どちら様も降りるんですよ、
ドアは右側でなく左側が開きますよ、
全員降りたら、
いったんドアを閉めますから
車内に残っていてはいけませんよ、
などなど、
もう五月蝿いったらありゃしない。
まさに、
ぶんぶん飛び交う蝿か蚊のごとく。
数分遅れただけで、
車内でもホームでも、
言い訳のように、
これこれの理由で
電車が遅れて申し訳ございませんと繰り返します。
ルールに従ってのことだとは思いますが、
また、
ほんの少しのことでも
文句を言う客がいて、
それへの対応からかもしれませんが、
少しきちがいじみています。
なんとかならないものでしょうか。

・故郷ではそろそろ雪かと空眺む  野衾

本をつくる

 

・冬空や重き予感をはぐくみぬ

横浜女学院中学二年生による
「本をつくる」体験学習が終りました。
装丁家の矢萩多聞さんは、
忙しいのにわざわざ時間を割いてくださり、
この二日間のためだけに
京都から駆けつけてくれました。
生徒といっしょになって
小さいながら、
16ページのちゃんとした本を作ります。
編集の岡田、寺地が補助し、
編集長の内藤が全体をチェックします。
子どもたちもいっしょうけんめいです。
夕刻六時を過ぎたころ、
担当の教師から電話が入りました。
その第一声は、
「まだ終りませんか」
六年目になりますから、
二十四人が本づくりを体験したことになります。
そのなかから一人でも、
本にかかわる仕事に就く人が現れることを夢見ています。
生徒の皆さん、
多聞さん、岡田くん、寺地くん、内藤くん、
お疲れ様でした。

・ぽつねんと夢に夢見て冬の朝  野衾

体験学習

 

・国道を走る車も冬に入る

ここ数年、
春風社では横浜女学院中学校の生徒さんを受け入れ、
体験学習を行っています。
今年も四人の生徒さんがいらっしゃいました。
わたしは初日の午前中を担当、
出版社の仕事について、
本づくりの苦労と楽しさなどについて話します。
みなさん緊張して聴いていました。
怖くないよう、怖くないからね~、
と、
おだやかに
やさしげに話したつもりですが、
でもやっぱり緊張しているみたいでした。
まあ、そうでしょう。
きょうは二日目。
「わたしの好きな本」をテーマに、
事前に書いてきてもらった作文を原稿にして、
いよいよ本づくりを体験します。
それぞれアイディアをだし、
手先をつかっての仕事になりますから、
はずんだ姿が見られるでしょう。
どんな本が出来るか、楽しみ!

・あたふたと走り立冬過ぎにけり  野衾

山ガール

 

・大山に十一月の富士見かな

大山の頂上から反対斜面を下っているときのこと、
いまはやりのファッショナブルな山ガールに
何人も遇いました。
すれちがいざま、山で行き交う人らしく、
「こんにちは」
「こんにちは」
薄化粧した顔に汗が光っています。
わたしの後ろを
おばさんたちがついて下りていましたが、
こんな話が背中から聞こえてきました。
「あれが、いまはやりの山ガールよ」
「どの娘もかわいいわね」
「ほんとほんと」
「山に登るときれいになるのかしら?」
「あんたバカね。
かわいい娘が山に来るのよ。
デブで不細工な娘は最初から山になんか来ないの」
「そうかしら」
「そうよ。ほらっ。こっちこっち」
口の悪いおばさんをやり過ごすため脇へ寄りました。
おばさんたち、
格好だけは山ガールに劣りません。
さしずめ山婆ール。
まちがっても口に出してはいえません。
「なに言ってんの山爺ールが!」
と言い返されるのがオチです。

・大空の下雪を湛えてあれが富士  野衾

大山へ

 

・渓水のうへに小さき帰り花

鍼灸の先生に薦められ、
税理士のK先生もかつて登ってばてばてだったという
丹沢山系の大山に登ってきました。
横浜から相模鉄道線で海老名へ。
小田急線に乗り換え秦野まで。
そこからバスに揺られること四十分ほどでヤビツ峠へ。
登山開始約一時間で大山山頂へ到着。
高尾山と違って人も少なく、
山登りを満喫。
K先生とはコースも異なり、
ばてばてにはなりませんでしたが、
かなり足腰にきました。
途中、
雪化粧をほどこされた富士の霊峰に見とれ、
山頂では
シャケの入ったおむすびをパクリ。
腹に余裕があったため、
店でわたしは山菜そばを、
家人は豚汁を所望。
山の空気を腹いっぱいに吸い、
今度は反対側の斜面をゆっくりと。
下りながら、
今回持ってこなかった
ストックと軍手は必需品と思いました。

・山に来てにうと現る鹿跳ねり  野衾