アウトレイジ ビヨンド

 

・しまらぬ世もっと吹け吹け秋の風

北野武の新作『アウトレイジ ビヨンド』を観てきました。
やくざ映画ですから、まあ、人を殺す殺す。
前の『アウトレイジ』を観ていないので、
つながりがよく分からないところもありましたが、
それでも十分楽しめました。
始まりの時刻を間違え、
映画館横のベンチでうとうとしていたものの、
映画が始まるや
眠気は一気に吹き飛びました。
やくざ映画って、
『仁義なき戦い』からそうですが、
なんとなくほわ~っと、
静かなシーンだなあ気を抜いて観ていると、
ズドンと殺(や)られちゃいます。
映画を観つつ、
鼻ちょうちんを膨らましていたら、
知らぬ間に
こっちまで殺られちゃいそうで、
おちおち眠ってなどいられませんでした。
映画のなかで、
「けじめ」という台詞が
何度かつかわれていました。
この映画製作にあたり、
東日本大震災との関連で
タケシが発言していたことばを思い出しました。
日本は、
まったくけじめのない社会に堕してしまいました。
キズナだアイだと声高に連呼する前に、
ケジメをつけろよ
と言いたいのかなと映画を観て思いました。

・腹張つて何故かと思へば薩摩芋  野衾

完訳ファーブル昆虫記

 

・振り向けどぽかんぽかんの秋の風

いま電車の中では岩波文庫の
『完訳ファーブル昆虫記』を読んでいます。
小学生のころ、
子ども向けの本で読んだだけですから、
初めて読む本と言っていいでしょう。
子ども向けでなく、
抄訳でもない本のおもしろさと、
すごさ醍醐味をページを追うごとに感じます。
昆虫記ですから、
昆虫のことばかりかと思いきや、
そんなことはありません。
この本には
ファーブルの稀有の人生が
ぎゅっと詰まっています。
ゆっくり読めば、
ファーブルがそばにいて、
稀有な体験をだれにも
物惜しみせずに語りかけてくれます。
いま読んでいる二巻に、
ファーブルが子どものころに見た、
牛の屠殺現場の様子が印象的に記されています。
そして、
ある種の蜂が、
本能によって虫に針を刺し
麻痺させて蜂の幼虫に供するのに対し、
人間の屠殺行為は
本能によるものではないことを考察しています。
ここのところの記述は、
賢治の『フランドン農学校の豚』を想起させます。
死刑囚が人間の手によって殺されると、
話題になりますが、
動物も殺されるときには、
ちゃんと分かって恐怖するはずなのに、
問題にされることはほとんど無く、
賢治やファーブルのような天才か、
子どもだけがそのことを思い悩みます。
そんな、尊きいのちへの畏敬とおののきが
ファーブルの本には充ちています。
抄訳で済ますわけにはいきません。

・木曜日鮨を食ひても晴れやらず  野衾

売掛表

 

・物こらへ腹に石あり秋の風

弊社は、おかげさまで十四期に入りました。
それはいいのですが、
そろそろ十三期の数字を整理し、
税理士の先生に渡さなければなりません。
わたくし、
なにが嫌いと言って、
表と名の付くものほど嫌いなものはありません。
面白くありません。
数学は好きなのです。
数学の授業で新しい単元に入り、
先生が
たとえば微分の考え方について話されるとき、
とても興奮したのを覚えています。
大げさに言えば、
世界についての
新しい見方を教わったような。
きのう、
十三期の売掛表の数字をチェックし、
十四期の売掛表を新たにつくり、
前期からの繰越金を入れなどし、
ふだんあまり使わない頭を
フルに使っていたら、
ほとほと疲れました。ぐったりしました。
たとえば本。
ページをぱらぱらめくり、
いくつも表が出てくるようなものは、
まず買いません。読みません。
表にして数字を足したり引いたりしてなにが判るっつーの、
なんて。
不得意ジャンルについて、
人はそんなふうに思うものなのですね。

写真は、なるちゃん提供。

・秋なれば人を厭ふの心あり  野衾

ナマにんにく

 

・疲れ来て今年最初の柿食ふた

先日、中華街で、
いくつかの品を店で食べずに
持ち帰り用パックに入れてもらいました。
メニューの写真にあったソーセージが美味しそうだったので、
ほかの品といっしょに、
それも買いました。
食べる段になり、開けてみたら、
つやつやしたソーセージの横に
刻んだナマのにんにくとネギが添えられていました。
家人の忠告を無視し、
ソーセージといっしょに、
ナマのにんにくもガリガリと。
版画家の谷中安規もナマのにんにくが好きだったな。
翌朝、
目覚めたばかりの家人に
いきなり怒られました。
あなたの周りの空気まで臭い!
どうしてあとのことを考えないの!
これを食べなさい!
家人いやはや、すごい剣幕。
反論の余地は微塵もありません。
たっぷりのヨーグルトに
黒糖をかけたものを食べさせられました。
まだ臭いわ!
そう言われても…。
出社途中、紅葉坂で
先月入社したFさんといっしょになりました。
にんにくのことをすっかり忘れていました。
昼が過ぎた頃、
ふと思い出し、
そのことをFさんに質すと、
「あ、あれは社長でしたか、
途中すれちがった女性がいて、
彼女が通ったときに
にんにくの臭いがしたなと思いました」
そうか。
やっぱり臭かったのか。
これは家人に言わずにおこうと思いました。

・飴色のホッケまた好し秋暮るる  野衾

丸谷才一さん

 

・鰯雲運動場の子ら跳ねり

「池内紀の読書会」「長田弘の読書会」につづいて、
「丸谷才一の読書会」をやりたいと、
心中ひそかに期するところがありましたが、
叶いませんでした。
今月十三日、
お亡くなりになりました。
八十七歳。
昨年、
ソーントン不破直子・内山加奈枝編著による
『作品は「作者」を語る』を
弊社から出した折、
丸谷さんから直接複数の注文があり、
驚きもし、
うれしくもあり、
ちかいうちにぜひ機会を見つけ、
『源氏物語』について
お話をうかがいたいものと思っていました。
かつて(今も)、
わたしは英文学者の中野好夫さんが好きで、
中野さんの書くものなら
なんでも読んできましたが、
中野さんが亡くなった後、
中野さんに比する文学についての読み巧者は、
丸谷才一さんだと勝手に思い定め、
丸谷さんの書くものも読んできました。
丸谷さんは東大時代の、
中野さんの教え子ですから、
文学への基本姿勢を
中野さんから教えられたのではないかと、
これまた勝手に想像しています。
作品は「作者」を語るでしょうから、
たくさんあって
全部は無理にしても、
まだ読んでいないもののなかからいくつか選び、
これからじっくり読みたいと思います。
ご冥福をお祈りします。

写真は、なるちゃん提供。
秋田の刈り入れ。

・秋の日や気持ちいいなとつい洩らし  野衾

おかし男・徳冨蘆花

 

・知人宅獺祭飲んでひとねむり

夕飯後に読む本は『蘆花日記』。
一日の仕事が終って疲れていますので、
物語などはとうてい読めませんが、
日記なら読めます。
そして、
徳冨蘆花の日記は、
評判どおり、
すこぶる面白く、
疲れを忘れて爆笑し、
家人に呆れられたりしています。
ただいまその第四巻。
大正五年十二月から大正六年五月までの分ですが、
たとえば、
大正六年四月十五日の日記にこうあります。
「主人(蘆花のこと)は若い女の肉が好きだ。新聞に十三娘が強姦されて死んだ事や、十五娘を湯帰りに擁して姦した男の事を読むと、無惨の感より、羨ましい感が第一に動く。今日も午餐後、廊下で玉(十八歳の女中さん)の頬をたゝいたら、羽二重餅の様に軟らかだつた。あの軟らかい若い処女肉は大切にして保護せねばならぬ――と思ひつゝ其一きれ(漢字変換できず)を嘗めて見たい――それは罪だ――罪は犯したいが犯したくない――そこでmoroseとなる。」
moroseは、不機嫌とか陰鬱の意。
馬鹿といえば馬鹿。
馬鹿正直。
だれも、そう感じても口にするのをはばかる内容だ。
作家の日記としては、
稀有のものではないでしょうか。
爆笑した後、
余韻のままにもう少しページを進めると、
四月十八日の最終行に、
「中心に満足があるので、表皮の不快に関せず、さまで悪くない機嫌でbedに入る。」
とあって、
どきりとする。
「中心に満足がある」
たしかにそう感じる日が、
そうとしかいえない日があります。
わたしはbedではありませんが。

・パンソリの声と鼓(つづみ)の秋夜かな  野衾

熱きまなざし

 

・訪ねきて吾れも染まりぬ紅葉かな

埼玉県新座市にある十文字学園女子大学にて
しゃべってまいりました。
地域メディア論のゲストとして招かれ、
「大きいことはいいことか 東日本大震災後に考えたこと」
をテーマに。
十時四十分に始まり十二時十分まで。
はじめ講座担当の先生がわたしを紹介してくださり、
では三浦先生お願いしますと言われてから、
ほとんど休みなく、
黒板に字を書くこともなく、
延々しゃべりっぱなし。
高校教師をしていたときも、
だいたいそういうスタイルでした。
学生さんたちが
熱心に聴いてくれるものですから、
気をよくし、
声がだんだんだんだん
デカくなることが自分でわかります。
そうすると、
学生はますます聴いてくれる。
いま思えば、
マイクも使わないのに
声のデカい人だなあ、
ぐらいに思っただけかもしれませんが…。
いやそんなことはないと思いたい。
ともかく、
熱弁をふるい、
あっという間の九十分でした。
ああ、面白かった!
来春、
前期15回の講座を受け持つことになりました。
題して、
「本が出来るまで」。
さて、どんなことになりますやら。

・薪能火の粉舞ひ飛ぶ月夜かな  野衾