滑稽プルースト

 

・秋風や待ってましたと吸いにけり

『失われた時を求めて』を
読み直していますが、
思わずプッと、
笑いが口をついて出ることがあります。
二十代のときに
初めて読んだときは、
そんなことはありませんでした。
どんなところかというと、
たとえば、
男が好きな女のこころを引き寄せたくて、
いろいろぐだぐだと説明やら
言い訳やらを語るのを
相手の女が煩わしく感じ、
とっとと次の行動に移るような場面。
恋する男が深刻であればあるほど、
それをまた細密に描写すればするほど、
滑稽味は深くドラマチックです。
それがなんともうまい。
ていうか、
可笑しすぎ。
これはぜったい、
作家が計算してやっているとしか思えません。
初めて読んだとき、
そんな箇所に気づいていたのかどうか。
気づいていても、
滑稽とは感じなくて、
悲しいことというふうに感じたかもしれません。
若いとき深刻で悲しく思えたことが、
歳を経てみれば滑稽きわまりないということがあります。
作品が二十世紀最高の文学といわれ、
いかにも真面目そうな、
神経質そうな、
頭のよさそうな肖像写真から
勝手なイメージを抱いてきましたが、
どうもそれだけじゃないぞと思い始めています。
まだ二巻目ですが、
再読の小さな発見、大きな効用です。

写真は、ひかりちゃん提供。

・プルーストの時を求めて九月かな  野衾