ツブヤ大学「BooK学科ヨコハマ講座」

 

春風社事務所を会場にして、
毎月行っているトークイベントのお知らせです。
今月は、
「長田弘の読書会」と題し、
詩人の長田弘さんをゲストにお招きします。
日本を代表する詩人のお話をすぐ近くで拝聴し、
じかに対話できる絶好の機会です。
本を読むこと、詩を書くこと、生きること、
について
時間のゆるす限りうかがいたいと思います。
当日は、
長田さんのたくさんある自著のなかから、
以下の本をとりあげ、
楽しい会にしたいと思います。
ふるってご参加ください。
お早目のご予約をお願いします。

『ねこに未来はない』(角川文庫)

『記憶のつくり方』(朝日文庫)

『定本 私の二十世紀書店』(みすず書房)

●日時 9月15日(土)午後3時~
●場所 春風社
●参加費 1000円

詳しくは、こちらをご覧ください。

政治生命

 

・一日にバケツ一つも残暑かな

日本生命でなく政治生命。
そんなおやじギャグも言いたくなります。
あの泥鰌総理の面(つら)を見ていると、
ムカムカしてきます。
泥鰌は週に一度食べるほど好きなのに、
泥鰌総理は
どうにも好きになれません。
九月四日の朝日新聞夕刊に
池澤夏樹さんのコラムが載っていましたが、
総理の「政治生命」発言に触れ、
それは総理個人の問題であって、
国の問題ではないと記されており、
まったく同感でした。
「不退転の決意」「政治生命」
漢字テストでもあるまいに、
勇ましい言葉ばかりを列挙し、
それが演説としてカッコいいとでも思っているのか、
趣味なのか、
なさけなくなります。
国の先行き、
人びとの痛みや悲しみや願いなど、
これっぽっちも分からぬ、
分かろうとしない面に見えて仕方ありません。

・たずね来て路に迷ひし花野原  野衾

仕事も深い

 

・だれかさんが秋見つけたは誰なんだ

以前勤めていた会社では、
月に一度、
アルバイトをふくめ社員一同が集まり、
飲み食いをしていました。
ずらーと連ねた長テーブルの上に
近所で買ってきた刺身やお惣菜を並べ、
酒を酌み交わしました。
当時六十代だっただろうKさんは、
頃合いを見計らい起立しては、
自分で考えてきたクイズを三問、
毎度楽しそうに出していました。
正解者には五百円のテレフォンカードをプレゼント!
それも自前で用意していたようです。
五百円×3=千五百円の出費は小さくありません。
クイズの正解者が出ると「正解!」
と大声を発したKさんが懐かしい。
いつの回だったか忘れましたが、
社長が、
あいさつの中でだったか、
数名で談笑しているときだったか、
定かではありませんが、
君たちは芸術が深いと思っているだろうが、
仕事も深いものだぞと言いました。
どんなことを思って言ったのか
今となっては分かりませんが、
このごろときどきその言葉を思い出します。
そして、
いろいろな意味で、
たしかに深いものだと感じます。

・早朝に秋忍び込み憩ひけり  野衾

つるべ落とし

 

・辣韮(らっきょう)は甘悔恨の味すなり

「秋の日は釣瓶落とし」
ということわざがあります。
秋田の実家に井戸はありましたが、
釣瓶(つるべ)を落として
水をくみ上げるふうにはなっていませんでした。
水をたっぷり湛えていて、
しゃがんですぐに汲めました。
なので、
言葉は知っていても、
テレビの時代劇なんかで見るだけですが、
秋の日の暮れやすさを
井戸に落ちていく釣瓶にたとえるなんて、
古人の感覚に感動します。
だんだん日が短くなっていきます。

・ざくざくと辣韮齧る生きてをり  野衾

パソコンと読書

 

・爽やかを腹いっぱいに吸ひにけり

この日記もそうですが、
パソコンのキーボードで文字を入力するとき、
わたしは右手の中指と人差し指しか使いません。
ローマ字入力で行っているのですが、
いま改めてキーボードを眺めると、
一番左上に
なんだかわからないESCと書かれたボタンがあり、
そこから右へF1、F2、F3…
ESCのボタンの下には
半角/全角―漢字と書かれたボタンがあり、
そこから右へ1,2,3…
その一段下の横列は左にTab|← →|とあり、
右隣りからQ、W、E、R、T、Y…
こうやって文字で説明すると、
ほんとうにややっこしい。
それで、
わたしはこのボタンの並び方を
まったく覚えていません。
謙遜でなくまったく。
なのに、
右手の中指と人差し指だけで、
キーボードをときどき眺めやりながら
そんなに苦労せずに
いつの間にか打ち込めるようになりました。
頭で覚えているのでなく、体が、
というよりも
右手の中指と人差し指が覚えているとしか思えません。
左手は、入力作業中、
ただ椅子の肘掛で休んでいるだけですから、
右手の中指と人差し指だけが覚えている
と言ったほうが正確です。
ちょっと話が飛びますが、
文章を読むということに関して
このごろ同じようなことを考えます。
本を開いて黙読していても、
頭のなかでは声が出ています。
文字を声でなぞりながら読んでいくと、
一冊の本を要約して答案に書くことはできなくても、
けっこう愉しく、
発見と悦びに満ちた読書となります。
パソコンの入力と読書百遍の言い伝えから、
体の不思議に思い至ります。

写真は、ひかりちゃん提供。

・コスモスを画像検索句作せり  野衾