郁乎さん

 

 頑張れと告げて旅立つ幾夜かな

加藤郁乎さんが今月十六日、自宅で亡くなられました。
八十三歳でした。
生前、お目にかかることはありませんでしたが、
写真集『九十九里浜』の出版(二〇〇四年)に先立ち、
推薦文をお願いしたところ、
すぐにお原稿をくださいました。
お礼の電話をかけた際、
いろいろとお話をしてくださり、
そのときのお声が今も耳に残っています。
四十年前、伊藤左千夫の句に導かれるように九十九里を歩いたこと、
安原顯さんから長詩を頼まれていたのに、
それが叶わぬうちに安原さんが亡くなられたこと、
また、
わたしが秋田の生まれであることを告げると、
土方巽を引き合いに出し、
頑張りなさいと励ましてくださいました。
涙が出るほどうれしかった。
その後も、
春風目録新聞にご寄稿いただいたり、
ずうずうしくも、
拙著『出版は風まかせ』に推薦文を頂戴したりしました。
ありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。

 思い出はタルコフスキーの眠りかな  野衾

ちあきなおみ

 

 映画観て夢のシーンに夢うつつ

このごろ
『船村徹作品集 不滅の名曲~オリジナル歌手による~』
のCDにハマっています。
タイトルどおり、
船村徹がつくった曲を、
提供された歌手たちが歌った歌のなかから
選りすぐったものを集めたコンピレーションアルバムで、
春日八郎、美空ひばり、北島三郎、村田英雄、
ちあきなおみ、鳥羽一郎、大月みやこ、大下八郎、
青木光一、瀬川瑛子
が昭和のヒット曲を歌っています。
まさに演歌の共演。
スタジオ録音盤からと想像される
すばらしい歌ばかりで繰り返し聴いています。
とくに、
ちあきなおみの「紅とんぼ」には泣かされました。
新宿駅裏にある五年続いた「紅とんぼ」というスナックが
今日でおしまいという設定の歌で、
わずか数分の物語を切々と見事に演じきっています。
一番、二番、三番の歌詞の最後「想い出してね… 時々は」
のそれぞれのニュアンスのちがいに舌を巻きます。
メロディーがずっと頭のなかで鳴り続けています。
今さらながら、
ちあきなおみは凄い!
と思っていたら、
一九七一年四月三〇日発行の『アサヒグラフ』(定価一五〇円)に
ちあきなおみが載っていました。
その妖艶で、無防備で、
あどけない姿に吸い込まれていくようです。
しばらく、
金縛りのような状態になったあと、
溜息をついて撮影者の名前を見れば、
なんと、
われらが橋本照嵩さんではありませんか。
『瞽女』の橋本さんはちあきなおみも撮っていたのか。
は~。
芸人魂に魅せられたのかもしれません。

 大岡川大木からも若葉かな  野衾

夢うつつ

 

 新緑や横須賀線の眠さかな

連休を挟み二週空いた横浜気功教室が、
また始まりました。
馴染みのお顔あり、初めてのお顔あり。
朱剛先生は、
奥様と一歳のお子様を伴い、
十日間ほど上海に帰られたそうで、
ベビーカーを列車に持ち込むと、
それを中心に、
乗車している人びとの気配が変ったと、
気功の先生ならではと思われる感想を洩らしておられました。
ベビーカーの中の赤ちゃんは、
夢とうつつの狭間で揺れていたのでしょう。
気功は体操とちがい、
気功体になって行うことが重要だと
先生はよくおっしゃいます。
気功体というのは、
ひとことで言えば夢うつつの状態であると。
たしかに、その状態で、
体を動かすのではなく自然と体が揺れる段階に至れば、
なんともいえない心地よさに充たされますが、
さらに心地よさが高じると、
馬のように立ったまま眠ってしまいます。
夢うつつのはずが、
つい、夢に落ちてしまいます。
ここらへんがとても微妙で難しい。

 東海道ここに泊まれとホトトギス  野衾

詩について

 

 雲間より光りさざなみ五月かな

四月二十七日に春風社で行われたトークイベント、
「『ことばのポトラック』をめぐって」~よこはま 本への旅~
がヨコハマ経済新聞に掲載されました。
詩人の佐々木幹郎さんをゲストにお迎えしての、
静かで、深く、熱い、夜のひとときでした。
あのときの興奮と感動と余韻が、
まだわたしの体に残っています。
形を変えながら、
これからもずっと残っていくでしょう。
それぐらい、
特別な時間でした。
終ってから、
中学三年生のひかりちゃんと、
小学五年生のりなちゃんが、
ベランダにおられた佐々木さんのほうへつーと寄っていき、
なにか話したそうにしていたら、
佐々木さんのほうから声をかけられた。
その呼吸が絶妙で、
時が輝き、
一瞬、
停まったようにさえ感じられた。
子どもは、
本当に感動すると、
ああいう仕草をするものだと思います。
自分に大事なものをくださったひとのところへ行き、
そこにしばらくたたずんでいたくなる。
ありがとうでは足りないありがとうを、
佐々木さんに直接伝えたかったのでしょう。
この記事をまとめてくれた池田智恵さん、
そして、
ていねいに校正してくださり、
あの時間になにが話され、
会場でなにが起こったかを吟味し、
最後の磨きをかけてくださった佐々木幹郎さん、
ありがとうございました。
ヨコハマ経済新聞に掲載された記事は、
コチラです。

 雲散らし光り溢るる五月かな  野衾

ウミガメ!?

 

 新緑に溶けて中まで光りをり

専務イシバシが電話口で戸惑いながら、
「あのう、読み方が分からないのですが、
ウミガメさんというのでしょうか、
そうです、はい、そのウミガメさんいらっしゃいますか?」
と話すのが聴こえました。
彼女の机は、
わたしのすぐ右手にありますから、
よほど仕事に集中しているときでもないと、
何を話しているのか聴こえます。
ウミガメさんかあ。
世の中には変わった名前があるものだなあ。
ウミガメさんがいるってことは、
サワガニさんもいるのかな。
ヤマザルさんとか。
それから、
カワエビさん。
昨日、
連休明けの九州出張報告があり、
木のテーブルを囲み、
みな神妙な面持ちでイシバシの報告に耳を傾けましたが、
事前に渡されたプリントに目を落としていたら、
海金という文字に目が留まりました。
海金、ウミガネ。
そうか。
ウミガメじゃなく、ウミガネか。
だよね。
ウミガメはないよな、
人間なんだから。
サワガニ、ヤマザル、カワエビの夢も潰えました。

 汚れてもいのちみなぎる五月かな  野衾

夢に倍賞千恵子

 

 二日酔い早く起きよとホーホケキョ

会社が入っているビルに戻ると、朝から催し物のために来ていた高校生らがあちこちでたむろし、高校生のクセに煙草をすぱすぱ吸って、灰は撒き散らすは、高調子でくだらぬ話に興じるはで、馬鹿野郎この野郎死んじまえと思いながら、エレベーターを使わずに階段を上っていったら、ものすごい数の人間が避難していて、避難しているところをみると、どうも何かあったらしく、わたしはどこへ向かっているか分からぬままに急いでいた。そうだ。教室に行ってみようと思い立ち、さらに上階へ向かうと、ベージュのコートを身にまとった武家屋敷が、雨が止んできたからこれから家に帰りますなど言い、あ、そ、俺は帰らねーよ、で、小さな和室にたどり着くと、そこに倍賞千恵子がいた。おばちゃんも。倍賞千恵子は今ほど年取ってなく、かといって、寅さんシリーズの第一回に出てきたほど初々しくはなかった。
そばに寄るといい匂いがし、ぼくは思わず倍賞千恵子を抱きしめた。思ったよりも肉感があって、押し返してきた。嫌がる風ではない。いい匂いはまだ続いている。体を離したら、左上の犬歯が虫歯だったのを思い出し、摘まんでみたらぐらぐらしだし、倍賞千恵子に気づかれぬようにそっと抜いた。そうしたら、一本抜けたことにより、連鎖したのか隣りの歯もそのまた隣りの歯も抜けてきて、全部抜けてくるような心もとなさを感じた。ふと見ると、どこから現れたか老婆が三人、にやついて、体操とは思えぬ体操をそれぞれ行っている。光は少し変化したようだ。ぼくは行くべき場所も、目的も、すっかり失念していた。

 保土ヶ谷の谷に木霊すホーホケキョ  野衾

マハーバーラタ

 

 ブルーベリーより効く目には青葉かな

山際素男編訳『マハーバーラタ』(三一書房)の刊行にあわせ、
出るたびに買っていたものの、
文字通りの積読になってしまい、
本棚の場所塞ぎでしたが、
一念発起しやっと読み始めました。
ところが戦闘シーンがやたらに長く、
クル軍とパーンドゥ軍の他部族を巻き込んでの
十八日間の戦さを描くのに、
全九巻のうち五巻を費やしています。
それってどうなのよ。
いま六巻目で、
戦さがようやく終りホッとしました。
本筋の物語とは関係ありませんが、
何度も出てくる表現で、
相手に対する親密さや愛情を表現するのに、
「頭を嗅いで」という言葉があります。
なにやら獣めいています。
最初見たとき、
なんだこれはと思いましたが、
たびたび出てきますから、
インドにはそういう風習があったのかもしれません。
(ひょっとして、いまもどこかで行われていたりして)
いろんな愛情の示し方があるものです。
それから、
これも物語とは関係ありませんが、
比喩で「心のように速く」という表現がよく出てきます。
これも古代人のものの捉え方が偲ばれて、
面白いと思います。

 目をつむり切通し越ゆ青葉かな  野衾