床屋と少年

 

 種蒔きを終へて祝ひの便りあり

交差点のすぐ手前、ヘアーサロンの看板がでている。
月に一度、気が向けば二度足を運ぶ。
今月は二度目だ。
急な階段を上って左、
「いらっしゃいませ」の札が掛かっているドアを開けると、
交差点に面した窓側から椅子が三つ並んでいる。
窓にいちばん近い椅子に、
小学三年生ぐらいの子どもが温和(おとな)しく、
ちょこなんと座っている。
こちらのソファーには母親だろうか、
開いた雑誌の頁に余念がない。
「はい。お疲れ様でした」
母親がお代を払い、
男の子はまっすぐにドアに向かい、先に部屋を出た。
「おまちどおさま。どうぞ」
ハンガーにウィンドブレーカーと帽子をかけ、
指示された真ん中の椅子までは三歩半。
わたしの散髪は簡単で、
刈るだけなら電気バリカンで七分とかからない。
電気バリカンのコードが床屋の左肘に巻かれているのもいつもと同じ。
スタイリッシュな床屋なのだ。
床屋の髪型は宇崎風のリーゼント。オートバイが似合いそう。
さて、頭が終ったら襟足。
それからリクライニングを倒し、
顔にシェービングクリームを塗る。
蒸しタオルを三枚重ねると床屋は向こうの部屋へ退き、
煙草を一本ふかす。ルールどおりだ。
やがて床屋が戻ってくると、
かすかに煙草の匂いがする。
顔から蒸しタオルが剥がされ、もう一度、
今度は泡立ったシェービングクリームをたっぷりと塗る。
いよいよ床屋一番の見せ場。
舞台俳優のように一分の狂いもない。
剃刀の刃なのに、
石鹸で顔を撫でられるように、スピーディーに剃り上げていく。
泣きたくなるぐらい気持ちいい。
うつらうつらし始めたころ、
リクライニングが起こされる。
そのときだった。
目の前の大きな鏡が
ドアを開けて入ってきた一人の少年の姿をとらえた。
だぶだぶのズボンを穿き、
足にはサンダル、
ワッペンを貼ったような少し大きめのジャンパーを羽織っている。
ずらりとコミックが並ぶラックから一冊取り出し、
体をソファーに深々と埋めページをめくっている。
少年は一言も発しない。床屋もまた。
床屋が最後に折りたたみ式の鏡を棚の上から取り上げ、
わたしの後頭部にあてた。
合わせ鏡で「よろしいですか」これもいつもどおり。
「はい」
わたしは身を起こし、
鏡の前の眼鏡を忘れずに手に持ち、
ハンガーにかけたウィンドブレーカーと帽子を取って、
釣りのないようにお代を払う。
ドアを開けて一歩、二歩踏み出し、
背中でドアが閉まろうとした瞬間、
「いいよ」床屋が言ったのだ。
いいよ。
少年に向けられたその一言に、
わたしは耳をそばだて、一瞬間だけ歩を止めた。
床屋にも、
ひょっとしたら少年のような時代があったのかもしれない。
少年は、日常のことを床屋に話したろうか。
話すことばを持ち合わせていないのかもしれない。
そのことを床屋も知っているだろう。
わたしの妄想は果てしなくつづく。
それに身を任せていたいと体がささやく。
たゆたう時にこころを遊ばせ、
我知らず、癒しの恩寵に与ろうとしてでもいるようなのだ。
信号を待ちながら、わたしは後ろを振り返り、
くるくると静かに回りつづけるサインポールを見上げた。

 桜見て豁然たらざる日暮れかな  野衾