捨てるために

 

 坂道の遠く静かの桜かな

うまくことばにできないままに書きますと、
ことばは、
コミュニケーションのためにつかわれたり、
自己表出そのものであったりしますが、
ことばはまた、
何かを捨てるために書いたり、
言ったり、
読んだりもするのかなと。
そんなふうに感じることがあります。
きのうのエピソードに光をあて、
この欄に書いてしまうと、
そのことを忘れていい気がしてスッキリします。
朝、
古典を少しずつ読む。
雑踏から逃げるような気分になることもありますが、
もっと澄んだこころで言いますと、
自分の体験と日々の暮らしを相対化し、
垢を落とすように捨てる、
日々捨てる、
蓄えるのでなく。
それが目的で読むわけではありませんが、
結果としてそうなっている。
捨てたい体、
わたしのでない、
いのちが立っています。

 鶯のほけきょと鳴きて黙しけり  野衾