朝はまだ

 

 白梅や見慣れし家の垣根越し

三月も半ばですから、
日中はだいぶ温かくなりました。
が、
朝晩は冷え込むことが多く、
今も毛布を体に巻いてこれを書いています。
休日、
三河湾を望める宿に一泊し、
海の幸に舌鼓を打ち、
温泉を心ゆくまで楽しんで来ました。
時間帯のせいか、
夜も朝もどっぷりとした湯にわたし一人が浸かり、
なんともぜいたくな時間が過ぎていきます。
旅の間に読んだのは、
サン=テグジュペリの『人間の土地』(新潮文庫)と、
清水徹の『ヴァレリー 知性と感性の相剋』(岩波新書)。
「また経験はぼくらに教えてくれる、
愛するということは、
おたがいに顔を見あうことではなくて、
いっしょに同じ方向を見ることだと。」という
二十代前半でなければ口にするのもはばかられる有名なこの言葉、
『人間の土地』のここに出てくるのだったかと、
妙なところで感動したり。
また、
あの〈知性のひと〉たるポール・ヴァレリーが、
あんなにも〈女好き〉であったとは。
でも、
本に取り上げられた四つの恋に登場する女性たちは、
さすがに知性の人と恋に落ちる(落ちていない人もあり)だけあって、
実に魅力的。
老残の身をさらし、
恋にやぶれるヴァレリーのなんと痛々しいこと。
人の振りを見ても自分の振りがいささかも直らないのが
恋と人生であるようです、
てか。

 海鳥の逃げて浮ぶや春の海  野衾