お宝の宝庫

 

 図書の庫タイムマシンの春日かな

毎月行っているBook学科ヨコハマ講座「よこはま 本への旅」
第六回のゲストは、
神奈川県立図書館の林秀明館長です。
当日お越しいただく方に館の魅力を伝えるべく、
昨日、
カメラマンの大森さんに同行してもらい、
館の奥の奥まで、
まさに、
ディープな図書館を撮影させていただきました。
ご案内ご説明いただいた林館長、白石さん、
ありがとうございました。
神奈川県立図書館の建築は、
建築家としてつとに有名な前川國男が手がけたもので、
二等は丹下健三でした。
一等と二等の違いは何かといえば、
自然の景観を取り込みつつ、
掃部山公園(かもんやまこうえん)、音楽堂、図書館が
有機的に一体となったものを目指した
その構想にあったとのことです。
今は、
その構想が充分に活かされていないのだとか。
そのことを知ったうえで館を改めて眺めてみると、
いろいろな箇所に建築家の工夫と
思いの深さが垣間見れるようでした。
撮った写真は、
講座当日スライド上映します。
さらに当日は、
なんと、
日本史の教科書でしか見たことのないような、
江戸時代につくられた
『解体新書』『東海道中膝栗毛』『偐紫田舎源氏』の和本の本物を
館長さんにお持ちいただきます。
これは必見です。
昨日それらの本物を手にとり、
言葉を失い手がふるえました。ホント!
歌川国貞の絵のきれいなこと。
ほれぼれしました。
抱いてそのまま寝たかった。ホント!
『解体新書』の画を描いたのは、
秋田が生んだ天才絵師・小田野直武(おだのなおたけ)です。
どうぞお楽しみに。
先月二十二日に行われた
第五回Book学科ヨコハマ講座の内容が、
特集記事としてヨコハマ経済新聞に掲載されました。
コチラです。

  第六回Book学科ヨコハマ講座「よこはま 本への旅」
  日時:3月30日午後8時~
  場所:春風社

 鍋焼きの鍋を傾け汁啜る  野衾

サミュエル・ジョンソン伝

 

 梅咲かぬ偕楽園に友と来ぬ

わたしの朝の読書は、
『鏡花全集』の第一シーズン
(勝手にそう呼んでいます)を終え、
今度は、
ボズウェルの『サミュエル・ジョンソン伝』です。
サミュエル・ジョンソンは一七〇九年の生れですから、
日本なら、江戸時代ど真ん中。
将軍職が五代の徳川綱吉から六代の家宣に移る年です。
当時のイギリスの出版事情についての記述も多く、
ジョンソン博士の人物の魅力とあわせ、
仕事にも多少役立つことがあるかもしれません。
訳者は、
大好きな中野好夫のご長男の中野好之さん。
まだ第一巻の始めの方で、
主人公は人生の荒波に漕ぎ出したばかり。
これからどんな人と出会い、
どんな出来事が待っているのでしょうか。
楽しみです。
このごろ、実人生で
「なんだよ」と思うことが多くなり、
そう感じれば感じるほど、
古典に逃げ込み、
親しむようになっていくようです。
ちゃんと、ゆっくり、実のある人と話がしたくて、
古典に向かうのこころです。

写真は、なるちゃん提供。

 目を瞑り春あけぼのの歩みかな  野衾

少年

 

 下版前人の話が煩はし

「すみません。横浜で降りて、
新宿湘南ラインの電車に乗り換えれば大宮まで行けますかね?」
リュックサックを背負った少年がわたしを仰ぎ見ている。
「かね?」の語尾を面白く思い、
わたしは少年の顔を見た。
「行けますよ」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
少年は数歩歩いてドアのところに佇んでいる。
間もなく電車は横浜駅に到着。
どやどやと客が降り始める。
「わたしも新宿湘南ラインと同じホームだから、
そこまでいっしょに行きましょう」
「はい。ありがとうございます」
少年と連れ立ち駅の階段を下りる。
「きみ、何年生?」
「小学三年生」
「友だちの家にでも行ってきたの?」
「はい」
「一人で?」
「はい。ぼく、電車が好きなんです」
「へ~。えらいね、一人で」
「お母さんは、助かるって言います」
「家の仕事がはかどるから?」
「そうだと思います」
「ここを上がったところのホームだよ。
次の新宿湘南ラインの電車までまだ一〇分あるね」
「前橋行きですね」
「前橋って、大宮の先か? 手前か?」
「だいじょうぶです。手前なら乗り換えればいいのだし、
先ならアナウンスを聴いて大宮で降りればいいですから」
「そうか。そうなんだけど…。
ああ、路線図があるから、これ見てみよう」
「ほら、大宮までは共通で、大宮で別れるんですよ」
「そうだね」
少年の首の周りはアトピーがひどい。
「友だちは、前は大宮にいたの?」
「はい。引っ越したんです、大船に」
「それで、遊びに来たわけか」
「はい。学校が終って三時ごろ出てきました」
「そうなんだ。じゃ。気をつけてね。
わたしはこの電車に乗るから」
「はい。ありがとうございました」
混雑している横須賀線下り電車に乗ると、
少年はぺこりとお辞儀をし、
リュックサックからペットボトルを取り出し、
お茶を飲み始めた。
発車寸前の駆け込み乗車の客がドア前をふさぎ、
少年の姿は見えなくなった。

 抱かれし記憶を醒ます春の雨  野衾

マイブーム

 

 山形の雪や滲みて融けにけり

NHK教育テレビの番組「コロンビア白熱教室」
が終ってしまいました。
コロンビア大学ビジネススクールの
五回連続の特別講義を放映したもので、
おもしろかったー!!
最終回のテーマは、
「幸せになるための選択」について。
彫刻家が彫刻するとき、
彫刻するものがすでに材料のなかにあって、
彫刻家は要らないものをそぎ落としていくように、
人間にはインナーコア(内なる核)があり、
大事な選択をすることによって、
自分でも気づかないインナーコアを知るようになる。
その意味で、
選択することはアートなのだ。
く~。
シーナ・アイエンガー教授。
インナーコアの考え方はともかく、
あんなに美人で可愛くて(たまにする身振りが超可愛い!)、
英知の人の講義を、
わたしも身近で受けたかったなあ。

 面影を偲び恩師の声を聴く

工藤正三先生

 

公私にわたりお世話になった山形の工藤正三先生が三月二日、お亡くなりになりました。
工藤先生に初めてお目にかかったのは、『奥邃廣録』の復刻版刊行の年ですから一九九一年、二十一年前になります。その折、新井奥邃について勉強されている一端を親しくお話くださいました。奥邃と身近に接しておられた工藤直太郎先生を紹介してくださったのもその時でした。また、先生お手製の「工藤ラーメン」を美味しくいただいたことも忘れることができません。あんなに美味しいラーメンを、ほかに食べたことがありませんでした。
私が勤めていた東京の出版社が倒産し、路頭に迷っていたとき、新井奥邃帰国百周年記念シンポジウムに誘ってくださったのは工藤先生です。
会が終った後で、先生に、これからつくる出版社でシンポジウムの内容をまとめた本を出させていただけないかとお願いしたところ、先生は、すぐに了としてくださいました。それが春風社の第一号の本『知られざるいのちの思想家 新井奥邃を読みとく』に結実しました。
おカネがなくて、私の自宅で出版社を始めましたが、山形から何度も手弁当で横浜までおいでくださいました。編集作業をしながら、先生は、ふと、「新井先生の文章を読んでいて不思議なのは、少し分かってきたかなと思うと、まだ遠い。また読んで、理解が深まったかと思いきや、さらに遠くなる」とおっしゃいました。先生の新井奥邃に関するお仕事は、研究ではなくて、徹頭徹尾、勉強と研鑽であったと思います。
自宅で始めた出版社ですが、事務所を移転し、おかげさまで十三年目に入りました。社員も九名になりました。創業十周年のパーティーにも先生は駆けつけてくださり、ご挨拶をいただきました。事前に先生が送ってくださった山形の銘酒「十四代」が置かれたテーブルは、酒好きのお客さんで立錐の余地もないくらいでした。十五周年のパーティーにもぜひと電話でお誘いすると、「そうだな。元気になって、また横浜へ行くかな」とおっしゃっていたのに、本当に残念です。
先生に教えていただいた工藤ラーメンを、私は今もときどきつくって、お客様にふるまっています。教えてもらったレシピ通りでなく、ラードを使わず、ニンニクと生姜を加えたりもしますが、基本は工藤ラーメンです。先生が横浜で初めてラーメンをつくり社員にご馳走してくださったとき、食する人ごとに近くへ寄られ「どだ? うめが? うめが? そが。それなら良がった」と体を反らせ、「ほうっ、ほうっ、ほうっ、ほうっ」と、破顔一笑された姿が目に焼きついています。
工藤先生のおかげで、春風社の土台が築かれました。しっかりした土台です。その上に重ねてつくった本が四百冊を超えました。これからも一冊一冊、勉強と研鑽を怠らず、人様の栄養になる本をつくっていきたいと思います。
新井奥邃の「予死せる時に対し友に望むの書」のなかに、次のような言葉があります。「予の死を哀む者なき限りに於て予は誠に後顧の余念なく自由に悦んで往くべきに往かん」
工藤先生、ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。

森と

 

 枝枝の笑の字なり桃の花  野衾

昔、
ジャッキー吉川とブルーコメッツという
グループ・サウンズがありまして、
「ブルー・シャトウ」という歌がヒットしました。
一九六七年に発売され、
第九回日本レコード大賞を受賞。
わたし、まだ十歳。く~。
それはともかく、
その歌の始まりが、
「森と泉にかこまれて~」でした。
その歌が頭にこびりついていて、
「森と」の字面を見ると、
つい、
あのメロディーが頭のなかをよぎります。
ところで、
泉鏡花の小説には
割と頻繁に「森と」が出てきます。
そうすると、
わたしの頭のなかを
自動的にブルー・シャトウの曲が流れていくわけですが、
鏡花先生、
「森と」と書いて
「しんと」と読ませている。
今なら「シーンと」と書くところでしょうか。
そうなると、
わたしの頭は、
ビジュアルとしては静かな森を思い浮かべつつ、
そこに、
どこからともなくブルー・シャトウの曲が聴こえてくる、
そういう事態になるわけです。
ですからこのごろは、
しょっちゅう耳のなかで、
というか頭のなかでブルー・シャトウが鳴っています。

 きのふまでけふから春となりにけり

ゆっくりゆっくり

 

 急ぐなよそろりそろりと雪の道

四年に一度の二月二十九日、
関東では雪が降りました。
北の地方に降る雪とちがって、
みぞれ雪でべたべたとしています。
硬く凍った雪道を歩くのとはまた異なり、
べちゃべちゃの雪道を歩くのはむずかしい。
大事なことは二つ。
一つ、地面に対して常に垂直に足裏を接地させること。
一つ、そうしながらも、
すべって転ぶかもしれないことを忘れぬこと。
抜き足差し足、
ゆっくりと泥棒のごとくに。
長靴を履いて外へ出、
急な階段に差し掛かると、
前を同じマンションの上階に住む女性が、
手すりにつかまりながら
ゆっくりゆっくり下りていました。
あいさつをして追い越したら、
「わたし何度も転んでいるんですよ」と後ろから。
そういえば、
家人もここで転んだと言っていたっけ。
などと考えていたら、
ズルッ。
危なくこけるところでした。

写真は、橋本さん提供。

 ふくふくとこの部屋桃の節句かな  野衾