秋田弁を護る!?

 

 ぽかぽかとひたすら眠き気功かな

「よこはまの げまち」の次は、
「秋田弁 護士会」
笑っちゃいました。
秋田魁新報を読んでいたら、
一行が十四文字で
ちょうど行末が「秋田弁」で終り、
そこで行が変わって行頭が「護士会」になっていました。
なに、秋田弁を護る会かよ、
とツッコミを入れたくもなりました。
区切るところをまちがえた話で忘れられないのは、
嘉納治五郎です。
わたしはずっと「嘉納治 五郎」だと思っていました。
実は「嘉納 治五郎」だと知って、
大恥をかいたことがあります。
以前勤めていた会社でのことですが、
先輩編集者のOさんは明らかに
「嘉納 治五郎」と区切っていましたから、
Oさんに、
「嘉納 治五郎」なんていったら笑われますよ、
それは「嘉納治 五郎」と読むんですよ、
治五郎なんて名前あるわけないじゃないですか、
ゲンゴロウじゃないんだから…。
笑われたのは、わたしのほうでした。
皆さん、区切りにはくれぐれも気をつけましょう。

 寒空やヴァレリーマラルメ築地です

げまち!?

 

 枯葉散る夕暮れ時の真弓かな

日記は名前の通り毎日のことなので、
淡々とありがたく一日が終り床に就いたりすると、
ああ寝るのが一番、今日も終ったおやすみなさいで、
朝むくりと起きだしパソコンに向かい、
ヤバイ! なんにも書くことないよ、
悶々とすること半時、なんてことも間々あります。
逆に、
街を歩いていて、へ~とか、あれ!とか、
面白いものが見つかると、
これを明日の日記に書こうと一人ほくそ笑みます。
通りすがりの人は、
変に思っているかもしれません。
今日のはその類でして、
下の写真をご覧ください。
すぐに正しい読み方で読みましたが、
ほんの一瞬、
「なんだ、よこはまの げまちって!?」
と思いました。
あ、そうか。
そこで区切るとまずいわけね。
なるほどなるほど。
俳句をやっているせいで余計に
五音で区切りたくなったのでしょうか。

 エヴァンスの枯葉歌無しピアノ佳し

とうとう

 

 パソコンや肩と首凝る寒さかな

昨日から暖房を入れました。
あんなに暑い日が続いていたのに、
そんなことはとっくに忘れ、
さむさむー、なんて口にしています。
こんな日は、
コタツに入って蜜柑でも食べながら、
芥川龍之介の「蜜柑」でも読みたいところですが、
コタツがありません。
テーブルの上には、
いただいた柿が二個あるだけ。
四個のうち二個は食べました。

 この月の息白き朝生れけり

色も味も

 

 枯葉舞ふ新浦安に来てみれば

キウイがあったことをすっかり忘れていました。
相当な数あります。
さわってみたら、どれもほにゃほにゃ。
一個を手に取り水道水で洗い皮を剥こうとしたら、
包丁の刃が立ちません。
シャキシャキッと剥けずに、
メラメラッと剥けていきます。
とてもジューシーに光っています。
皮を剥いた葡萄の粒によく似た色をしています。
巨大な葡萄!
バクリ。うっめー! 葡萄みたい。
硬めのキウイは喉にイガイガと刺さってきますが、
これほど軟らかいと、
そんなことは全くありません。
調子に乗って、三個食べました。

 毛の生えたスイカのごときキウイかな

テレビ・ショッピング

 

 寒き日は一汁一菜本あれば

CD5枚組で9800円、送料は別。
高いか安いか。
テレビ・ショッピングで、
70年代から80年代にかけて流行った
日本の歌90曲が収録されているとのことで、
つまみ食い的にいろんな歌を紹介していました。
セットの名前は、again。
もう一度聴いてみたい歌、という意味でしょうか。
前にも見たことがありますから、
きっと売れているのでしょう。
知っている歌ばかりで、
つまみ食い的な紹介ながら、
聴いているうちに、
胸がきゅ~っとなってきます。
歌が流行っていた頃の思い出とともに、
気分や感情が蘇るから不思議です。
よほど気持ちが傾いて、
買ってみようかなとも思いましたが、
だいぶきゅ~っとなりましたから、
それでよしとして、
買わずに寝てしまいました。
電話するのも面倒だし。
初のテレビ・ショッピングはお預けです。

 沢庵を切りてごとりと台所

古典への旅

 

 味薄き柿ごつごつと石のごと

わたしの家の机上、
パソコンのモニターとプリンターに挟まれて、
六冊の本が並んでいます。
いずれもインターネットを通じ古書店で求めたものです。
プリンター側から『国木田独歩 石川啄木集』『夜と霧』
『徒然草』『方丈記 発心集』『おくのほそ道』『論語』。
『国木田独歩 石川啄木集』は、
啄木よりも独歩を読みたくて買いました。
ところで啄木の啄には、
チョンと傷のような斜めの点が入らなければならないのに、
入力すると出ないのはなぜでしょう。
傷が無ければ啄木じゃないのに。
それはともかく。
日々暮らしていて、
どんなちっぽけなことでも、
こういうことかな、と自分なりに気づくことがあり、
そうすると、
言葉に置き換え、
人には言わなくても、
なんというか、
人生についてのちょっぴり発見の喜びに数時間、
数日浸ることがあります。
でも、
そのほとんど、全部かもしれません、
は、
先人がその都度気づき言葉にしてきたものの器、
物語に入ってしまいます。
あははと笑ってしまうばかり。
それでいいのでしょう。
今は、
人と自分の個性を大事にしつつ、
少しでも先人のこころと物語を味わいたい。
鎮魂の物語を。

 室温が二十度なれば毛布足し

笑い皺

 

 肌寒き日々一生の夜明けかな

私用で一日休ませていただきました。
客の少ない電車に乗っていると、
若い男女が乗り込んできて、
目の前に座りました。
大学生でしょうか。
男も女も、
楽しそうに口をあけて笑い、
話しています。
女は二十六までに結婚したいのだそうです。
右手を頭の後ろへ回し、
左耳にかかった長い髪をさかんに後ろへかきあげます。
かきあげた髪はしばらくすると、
また落ちて耳を覆います。
すると、
濃い色のマニキュアを塗った白い指で、
飽きもせず髪をかきあげます。
その都度、
一瞬動きをピタリと止め、
付けまつげばっちりの目をキッとさせ、
顔の向きはそのままに、
男の話に集中するような仕草を見せます。
ミニスカートからにょっきり出ている円い膝を、
ぴっちりと閉じています。
鼻の横にできる笑い皺を見ていたら、
老人になった女の顔がありありと目に浮かびました。
持ってきた文庫本を読む気にもなれず、
更けゆく夜にジッと目を凝らしていました。

 口よりも言の葉多き眼かな